私をどこにも連れて行かないでほしい。
ただそこに、そうしていてくれるだけでいいのです。
担当患者さんだけでなく、しばしば担当外患者さんも私のところにやってくるのは
私が彼らをどこにも連れて行かないからじゃないか…と感じることがある。
昔は、相談を受けたら答えを出すか、出させるか…みたいなことをやってたように思う。
でも、基本的にひとは誰かにどこかに連れて行かれることを望んでいるわけではない。
もちろん、行き先を誰かに委ねたい人もいるだろう。
けれど、それはあくまでも表面上のもので
自分が行きたいところに好きなように行きたいというのが本音だと思う。
それがどこにあるのか分からなかったり、行き方が分からなかったりするから相談するんであって
基本的には、どこかに連れて行かれるのはイヤなのだ。
相談を受ける側はそんなことに気付かず、良かれと思う方向に連れて行こうとする。
今日、本屋に寄った時のこと。
村上春樹の新作『1Q84』の隣りに『1Q84を読み解く』という解説本らしきものが平積みされていた。
こういうのは、正直、興味がそそらられる。
手に取り、書いた人と目次をざっとチェックし、パラパラとめくってみる。
う〜ん。
読みたい気持ちと読みたくない気持ちが交錯して、私は本を元の位置に戻した。
その時の気持ちがこうだった。
私をどこにも連れて行かないでほしい。
読み終わってもスッキリしない読後感の小説ではあるけれど
誰かのナビゲートでスッキリしたい衝動にも駆られるけれど
でも、明確な意図を持った誰かにどこかに連れて行かれるのは、なんだか違う気がした。
ああ。こういうことなんだな。
たとえよく分からないことであっても
それを誰かに読み解かれるというのはなんだか違う気がするもんなんだな。
それは難しいからといって、誰かにジグソーパズルを組み立ててもらうようなものなのだ。
もしも、私の中に確固とした解釈があれば
それと比較するという意味でその本を買うのもいいのかもしれない。
そう考えると、私はまだまだその域には達していなくて
私の中の“モヤモヤ”とも、まだもう少しうだうだと付き合いたいと思っているんだろう
…というようなことに気付いた。
うん。
分からないことをそのまま置いておくというのも悪くない。
私が自分で選んで行ける余地がまだあるってことだもんね。
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私は節操なく買っちゃいました。でも幸か不幸かどこにも連れて行ってくれませんでした(笑)。
2009/7/18(土) 午後 1:03
そっか。。。どこにも連れて行かれないのならば読んでみようかしら。
うん。少し考えます。
2009/7/27(月) 午後 7:28
いつもとてもわかりやすく表現されていて感心します。
同じことを表現するのにも、こんなにも違うのかと
人の文体やリズムやチョイスすることば、不思議ですね。
2009/7/27(月) 午後 9:49 [ 優季 ]
優季さんありがとうございます。
コメントに励まされます。
私も優季さんの文章に不思議な魅力を感じています^^。
2009/7/28(火) 午後 9:47