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【水木しげるさんの訃報に接して。2014年夏 安倍政権の右寄り政策に警笛を鳴らす【妖怪通じ現代に警鐘 軍隊での体験、原点】ニューギニアの戦記を生々しく話しています。】
漫画家の水木しげるさん(93歳)が、30日午前7時ごろ心不全のためお亡くなりまりました。 ![]() 著名人で戦争を体験した貴重な方がなくなり。本当に残念です。
水木しげるさんは太平洋戦争から復員後、紙芝居画家や貸本漫画家を経て、「ガロ」などの漫画雑誌で活躍。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」はたびたびテレビアニメ化され、妖怪ブームをもたらし、後に実写映画にもなるなど、時代を超えた人気を見せていました。10年には文化功労者に選ばれています。 戦時中は陸軍2等兵としてニューギニアのラバウルに。上官には「態度が悪い」と殴られるなどつらい軍隊体験だったが、現地の人々とつき合い、禁止されても村に通い続けて自然と一体化した彼らの習俗に魅了されていった水木しげるさん。
爆撃で左腕を失い、死と隣り合わせにひそんだジャングルで幼い頃の記憶が次々浮かぶ。後に「妖怪が見えた」と述懐しています。 下記記事のように、昨年夏の2014年8月13日には毎日新聞で、安倍政権の右寄り政策に警笛を鳴らす【妖怪通じ現代に警鐘 軍隊での体験、原点】を生々しく話しています。
心からお悔やみ申し上げます。 合掌 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【この国で確かにあったこと:2014年夏 最近、兵士の夢を見る−−水木しげるさん(2014年8月13日掲載)】妖怪通じ現代に警鐘 軍隊での体験、原点 毎日新聞 2015年11月30日 http://mainichi.jp/featu…/news/20151130mog00m040004000c.html ![]() ー引用 ◇召集令状が届いたのは1943年春、21歳の時だった。 古い船に乗せられラバウルに着いたのは秋。ラバウルはガダルカナル島などへの中継地点で、連合国軍の空爆の標的になった。すでに戦局は悪化し、水木さんの船はラバウルに到着した最後の船だった。 戦場は常識が通用しない世界だった。「上官から毎日50発ぐらいビンタされていました。水木さん(自分のことをこう呼ぶ)は、一秒でも長く寝ていたいから起床が一番遅い。だから朝から『ビビビビビン!』とビンタされる。銃の手入れが悪いと指摘されたり、軍の規則に少しでも外れる行動をしたりすれば、これまたビンタなのです」。兵隊は消耗品と位置付けられ、初年兵と畳はたたくほどよくなると言われていた。 ◇「戦時中、特に前線では人間扱いされることなんてあり得ないことでした。
人間なのか動物なのか分からないほど、めちゃくちゃだった」分隊で、間もなく夜明けという頃に海岸線の歩哨に立った。望遠鏡でオウムを観察していて時間に遅れそうになり、慌てて隊に戻る途中、分隊は森側から敵襲を受け、全滅。水木さんは海に飛び込み、現地住民に襲われたり密林の中をさまよったりしながら本隊と合流を試みた。重い銃や弾は捨て、5日ほどの逃避行。「時間の感覚がまったくなかった。あるのは『生きて日本に帰りたい』という気持ちだけだった」と振り返る。 ◇死線を乗り越えて部隊に合流すると思いがけない言葉が返ってきた。
小隊長は「天皇陛下からもらった銃をなぜ捨てて帰った!」と怒鳴った。中隊長は「なんで逃げて帰ってきたんだ。みんなが死んだんだからお前も死ね!」と。 水木さんはこの時の心境について一言だけ述べた。「兵隊が逃げていたら戦争なんかできないから、生きて帰ったと叱られたわけですよ。だけどね、命からがら逃げてきて『死ね』と言われてもできるわけないですよ」 ジャングルの中で、負傷兵を護送する衛生隊。水木さんはこの地で多くの戦友を失った=ニューブリテン島ラバウルで1944年 著書「水木しげるの娘に語るお父さんの戦記」(河出文庫)にはこう記されている。<中隊長も軍隊も理解できなくなった。同時にはげしい怒りがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった> ◇「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、戦場にいた人の心を狂わせた。
水木さんは口調に力を込めた。「体面を重んじたり、部下を忘れて美しく死のうとしたりする上官が多かった。玉砕という言葉が、生きたいと願う兵隊一人一人の人生に絡みついて離れない感じだった」。水木さんの直属の上官、27歳の大隊長は、皇国史観の下で「忠臣の鑑(かがみ)」とされた楠木正成に心酔していた。のちに戦況不利と判断すると玉砕を決行している。爆弾で手足をもぎ取られたり、腹を撃たれたりしてうめく兵士。戦場では死は常に隣にあり、命は軽すぎた。作品では仲間の死に兵隊が涙を流すシーンがあるが、「水木さんは戦場ではあまり悲しんでなんかいられなかった。なんていっても誰かに次の死がやって来ましたから……」。水木さんがソファから背中を浮かすとシャツの左袖がひらりとした。そう、この人は命こそ助かったが、左腕を失った。 ◇マラリアで40度以上の高熱が出て兵舎でふせっていた時、空襲による爆発で左腕を負傷した。「バケツ1杯分の出血があった」(水木さん)。
治らないと判断した軍医がナイフで腕を切断。傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大きく腫れ上がった。マラリアもひどくなり、状態は悪化。「周りは『死ぬだろう』と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていた。持ち前の体力でなんとか持ち直し、野戦病院に運ばれた。現地住民との交流で食べ物を得たことなどで回復。復員は46年、24歳の時だった。 【戦時中にニューブリテン島にいた旧日本軍は約10万人。厚生労働省によると、戦没者は約1万3700人に上る。】
◇ふと気がつくと、水木さんが「総員玉砕せよ!」のラストシーンをじっと見つめていた。 兵士たちが玉砕する前に好きな歌をうたう場面だ。命の最後に選択したのは女郎の歌だった。<私は〜 な〜あんで このよう〜な つら〜いつとめ〜をせ〜にゃなあらぬ>。突撃。体を吹き飛ばされる兵士、誰にもみとられなかった死体の山、そして白骨の山で作品は終わる。 「日本に戻ってからは『かわいそう』という言葉は使わなかった。この言葉は戦場で命を落とした兵士のためにあるのですから」。残った右手がページの上をなでるように動いた。「これを描いている時はアイデアを考えたりしなくても、何も意識しないで右手が勝手に動いた。あの島で死んでいった兵士がね、描かせたんだね」 ◇再び戦争ができる国を目指しているかのような安倍政権。
現状を戦友にどう伝えるのだろうか。答えはなかったが、「平和を維持するには」と尋ねると、こう返ってきた。 「水木さんは国のことはあまり考えません。それよりも自分の生か死−−。この二つを戦場では強烈に突き付けられていました。誰が何と言おうと『自分は生きたい』と思うことが大事なのです」 ひょうひょうとした口調。「平和が大切!」と声高に叫んだりはしないし、国を批判するわけでもない。それでも「戦争は嫌だ」との気持ちが伝わってくる。 ◇厚い暑い。 涼を求めて東京都内の大手書店に足を踏み入れると、特攻隊をテーマにした「永遠の0」が平積みされていた。一方、水木さんが「自身の著作の中で一番好きな作品」という「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)は棚に静かに置かれていた。戦後日本が変わりつつある今、政治家、そして若者に「死んでいった兵士たちが描かせた本」を手にしてほしいと切に願う。
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環境・平和
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台風18号大雨により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
台風18号大雨被害 Yahoo!基金緊急募金が始まってますので記事にさせてもらいます。
以下、ページを引用させてもらってます。
期限付きのTポイントは期限過ぎますと失効してしまします。
1Pでも募金できますので、よろしくお願いします。
--------------------------------------------------------------------------------- 台風18号にともなう豪雨により、各都道府県では大きな被害が発生しています。
特に被害が大きい茨城県では、鬼怒川が氾濫し建物の倒壊や浸水・冠水被害がでています。 Yahoo!基金では、今回の災害によって被害に合われた住民の方々を支援するための募金を実施いたします。 【随時更新】栃木県と茨城県に大雨特別警報 気象情報や各地の状況まとめ(Yahoo!ニュース) <あなたの寄付が2倍になります> みなさまの寄付額と同額を、Yahoo! JAPANからも寄付させていただきます。 Yahoo! JAPANからの寄付金上限:200万円 ※2015年9月10日現在、茨城県の被災者の方々への募金を受付ております。 ※栃木県など、今後被害の状況に応じて支援先を追加する場合がございます。 ※このページに表示される募金金額、募金人数は5分おきに更新されます。 |
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台風の影響で朝方から豪雨になり、見る見るうちに氾濫警戒水位に達しました。
避難勧告から避難指示に変わりました。 その2時間後くらいには台風が過ぎ晴天になりましたが、いたるところ冠水しました。 記録として映像残します。 |
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ネパール大地震の余震、日本でも東日本大震災の余震が発生して日本でも緊張感が
増してきています。
東北の皆さんは、とても不安な日々を過ごされていると思います。大丈夫でしょうか?
今回のネパール大地震は、大きな落石、土砂崩れがヒマラヤで発生しています。
その爪痕は まるで…3.11
今後雨季になるとさらに土砂災害が増えると予想されます。山の津波と言われる脅威がネパールの人達を襲うかもしれません。
今のネパールの様子、十彩緑の会のFacebookページにもシェアさせていただきました。お時間ある方はご覧になってみてください。
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このようなかたちで、また十彩緑の会のページを更新するとは思いませんでしたが、十彩が応援していたネパールの手織り布の工場がこの大地震で崩れてしまいました。ネパールではまだ瓦礫の下敷きになっている方が大勢います。
何か出来ることがないのかと数日色々考えておりました。
Zyuのクリシュナ店長が震源地の地域の支援が今必要ということを知らせてくれました。
十彩らしくできる事は、お客様と共にネパールを応援すること。
5月20日夜の ナランさん帰国前のありがとうパーティーの予定を、チャリティパーティーに変更して行います。
その時にこの春開催した十彩春コレクションのDVDも販売します。
今は崩れてしまったバクタプルの手織り工場…この工場の人達から生まれた布を使った十彩春コレクションです。手織り布の優しさ、素晴らしさが見る方達にも感動を与えてくれること祈ってます。
Zyuカレーパーティーの参加費2000円、十彩DVD2000円の売り上げ全額ネパールの義援金にさせていただきます。その他チャリティオークションも開催します!
そして5月29日からの丸善仙台アエル店での展示会では、まんちゃんとネパール布で小物のコラボをします。ネパールの人達のために何かしたいという事で急遽実現した企画です。
そちらの小物と十彩のネパールの布で仕立てたお洋服の売り上げの一部をネパールの支援にさせていただきますので、よろしくお願いします。
人にやさしくの協力で、ネパール布の小物のPOP作成してもらいます。
みんなの力が集まって、ネパールの人達の力に繋がること願ってます!
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水木しげるさんは太平洋戦争から復員後、紙芝居画家や貸本漫画家を経て、「ガロ」などの漫画雑誌で活躍。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」はたびたびテレビアニメ化され、妖怪ブームをもたらし、後に実写映画にもなるなど、時代を超えた人気を見せていました。10年には文化功労者に選ばれています。 
人間なのか動物なのか分からないほど、めちゃくちゃだった」
水木さんは口調に力を込めた。「体面を重んじたり、部下を忘れて美しく死のうとしたりする上官が多かった。玉砕という言葉が、生きたいと願う兵隊一人一人の人生に絡みついて離れない感じだった」。水木さんの直属の上官、27歳の大隊長は、皇国史観の下で「忠臣の鑑(かがみ)」とされた楠木正成に心酔していた。のちに戦況不利と判断すると玉砕を決行している。
治らないと判断した軍医がナイフで腕を切断。傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大きく腫れ上がった。マラリアもひどくなり、状態は悪化。「周りは『死ぬだろう』と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていた。





