grunerwaldのブログ

ドイツと音楽、歴史や旅行を楽しむ憩いの森へ
何週間か前に1955年11月のウィーン国立歌劇場の再建記念公演でのベーム指揮「影のない女」(Orfeo盤)について取り上げたが、ベームはこの直後の12月に、同じウィーンにあってデッカが収録スタジオとして使っていたゾフィエンザールで、この公演とほぼ同一のキャストで(バラクのみルートヴィッヒ・ヴェーバーからパウル・シェフラーに変更)デッカへの録音をしている。11月の国立歌劇場のOrfeo盤はモノラルのライブ収録だが、デッカのほうはステレオでのセッション収録となっている。最近になって前者のライブ盤を聴くまで、この作品自体に対する関心がそれほど大きかったわけではなく、後者デッカのステレオ盤についても、ディスコグラフィーを目にする知識程度のものでしかなかった。その音質が想像以上に良好なこともあり、Orfeoのウィーン国立歌劇場の再建記念公演を指揮したベームの演奏を一通り聴いておこうと言うきっかけがなければ、この素晴らしいR.シュトラウスの作品への関心も、いまだ薄いもののままであったかもしれない。

以前、NHKのBS放送でクリスティアン・ティーレマン指揮ウィーンフィル演奏の2011年ザルツブルク音楽祭の「影のない女」が、その年の夏には早くも放送されていたものを目にはしていた。確か録画していたものを何日か後に観てディスクに落としておいたが、当時はまだこの作品への関心が大きくはなかった。なんかショルティの「指環」のメイキング映像でも出てきたゾフィエンザールを模したセットで、録音現場をモチーフにした演出だな、と感じたのと、皇后役のアンネ・シュヴァーネヴィルムスのアップ映像がやたらと多く、オペラと言うより女優と言うか演劇として見せたいのか?と言うような印象が残っている。何度か、最高音で完全に声がひどく失敗してしまっているだけに、その印象が強い(美人は得やね、的な)。その後、何年も繰り返して見ることもなかったが、これを機にこの録画も、改めて再度鑑賞する契機となった(市販ソフトパッケージは下写真)。

なるほど、この2011年のザルツブルクの舞台は、いまにしてそれがベームの1955年12月のゾフィエンザールでのこの曲の録音であることが、はっきりと理解できるようになった。そう言えば二階の調整室と思える部屋に12月のカレンダーが思わせぶりに掲示してあるのがわかるし、歌手がそれぞれ、コートを着込んだまま歌っているのも、録音時にデッカが予算を渋って暖房すら効いてなかったというような記事を、何だったかまでは覚えていないが、目にしたような気がする(ちょうど冬物のコートを物色しているところなので参考になった)。

11月の国立歌劇場でのモノラルのライブも、音は良く気迫のこもった演奏が聴けて大いに感動したばかりだが、なるほどこのデッカでのステレオ盤のほうも、甲乙はつけ難い素晴らしい演奏で大いに感動した。これについてはもうひとつ説明が必要で、このデッカ盤はたしか現在は廃盤で入手困難となっているはずだと思う。では何で聴いたかと言うと、ここでようやく前回取り上げた廉価版のベームのシュトラウス・オペラBOXが出てくるわけで、前回に書いたようにこのBOXのシリーズ1で「ばらの騎士」を聴いてそのノイズのひどさに閉口し、「こりゃだめだわ」となってほったらかしにして以来、ほぼ同じ頃に購入していた同じBOXのシリーズ2のほうも、どうせ同じ食わせものだろうと思って、封もあけずに放置したままであった。そのBOXのなかに、この55年のデッカ音源の「影のない女」が入っていたぞと、思い出したわけである。なので、何度も言うように、Orfeoのライブ盤を聴いて感動していなかったら、このBOX2のほうは、いまも封を切らずにおいたままだったかも知れない。


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こちらの廉価BOXシリーズ2には、この「影のない女」のほかに54年ザルツブルク「ナクソス島のアリアドネ」、60年ドレスデン「エレクトラ」、44年ウィーン「ダフネ」が収録されている。とりあえず「影のない女」を聴いたが、一部に音割れがやや気になる箇所があるにはあるが、全体としてはかなり鮮明でしっかりとしたステレオの音で、この素晴らしい演奏が聴ける。BOX1の「ばらの騎士」よりは音質としては問題はないと感じられる。それにしてもこの作品、最初はちょっと取っつきにくい印象があったが、聴きこむと本当におもしろいオペラだというのがよくわかる。女メフィストと言える乳母のシニカルな言葉で表されるように、「上界」的な視点から見ての人間界の唾棄すべき低俗さ、くだらなさ。その視座から見た「人間世界」は、死臭と腐臭漂うごみ溜めの如き世界。しかしそこでは、つらくとも上界にはない「愛」を支えに必死で生きる人々がいる。性根は善人だがロバの如く気が利かないバラクと、その三人の弟たちの身体的な特徴は、神々の無謬性から見た欠陥だらけの人間を暗示しているのだろうが、かれらを取り巻く音楽は寛容で慈愛に満ちている。なるほど、R.シュトラウスとホーフマンスタールという二人の天才の傑作としてベームが情熱を注いだというのがよくわかった。こういう作品を世に出した作曲家でさえ、十数年後には狂気の集団に取り込まれざるを得なかった歴史の皮肉を思うと悲しいものがある。
Hans Hopf (ten) Emperor/ Leonie Rysanek (sop) Empress/ Elizabeth Höngen (mez) Nurse/ Kurt Böhme (bass) Spirit Messenger/ Paul Schoeffler (bass-bar) Barak/ Christel Goltz (sop) Barak’s Wife/ Judith Hellwig (sop) Voice of the Falcon/ Emmy Loose (sop) Guardian of the Threshold/ Vienna State Opera Chorus/ Karl Böhm/ Wiener Philharmoniker/ Dec.1955/ Recorded at the Sofiensaal 


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この勢いで、92年のサヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場来日公演(市川猿之助演出・愛知県芸術劇場完成こけら落とし公演)のDVDも続けて鑑賞。92年にNHKがハイビジョン収録していたもので貴重な記録。初期のハイビジョンでまだ画像の明るさと鮮明さにはやや難がある。演奏も良いが、歌舞伎とオペラ言う東西の芸術が非常に高い次元で融合した公演という点で歴史に残る舞台だろう。

ここでの和洋の融合は実に自然で必然的なもので、ここ最近2010年代以降に顕著になってきている、不自然で押しつけがましい日本美の乱売のような醜悪な趣味はない。一幕前半の天上界びとのやりとりでは時代物的な文語調の日本語字幕が、後半の人間界では世話物の町人ことばに変わるのはセンスが良い。舞台の雰囲気は世話物と言うよりほとんど民芸劇団のような感じになってしまっていると見えなくもない。思いがけず「影のない女」強化月間となった。

皇后:ルアナ・デヴォル  皇帝:ペーター・ザイフェルト
乳母:マルヤナ・リポヴシェク  バラク:アラン・タイトゥス
バラクの妻:ジャニス・マーティン  若い男:ヘルベルト・リッパート 他



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2011年ザルツブルク音楽祭・ウィーン・フィル演奏
(クリスティアン・ティーレマン指揮、クリストフ・ロイ演出)

皇后:アンネ・シュヴァーネヴィルムス  皇帝:ステファン・グールド
乳母:ミヒャエラ・シュスター  バラク:ヴォルフガング・コッホ
バラクの妻:エヴェリン・ヘルリツィウス  若い男:ペーター・ゾン 他

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3年ほど前の話しだが、リヒャルト・シュトラウス生誕150年のアニバーサリー・エディションと銘打って、2014年頃にCD10枚入りの廉価BOXが THE INTENSE MEDIA 名義で発売された。価格は、1,300円程度の激安。ちょうどその時手元になかった、58年のベーム指揮ドレスデン国立歌劇場の「ばらの騎士」が収録されているようなので、発売後まもなく購入した。

ワクワクしながら聴いてみると、冒頭のオケの音はステレオで、悪くはなさそうだ。これはお値打ちか、と思ったのもつかの間、第一幕のオクタヴィアンと元帥夫人の歌唱が始まるや、歌唱の高音部と言う高音部にことごとく致命的で絶望的ななビビリ・ノイズがずっとこびり付いている。今までいろんな録音を聴いているけれども、これだけひどいノイズも珍しい。念のために何度も聴き返し、他の機器でも聴いてみたが結果は同じ。そっかぁ、そういうわけだったか…

だよなw。そうでもなければ、10枚入りで1300円なんて、ありえないよな(笑)。まぁ、価格も価格だったので笑い飛ばせる体験だった。(ちなみにこのBOXには他に47年ザルツブルクのアラベラ、59年同、無口な女、60年ウィーンのカプリッチオの計4つのオペラが収録されているが、上述のようなことがあって聴く気が失せてしまい、未聴のままとなっている。そのうちまたいつか、気が向いたら聴いてみよう。)

なので、購入後に一度この曲を通して聴いたっきり、その後聴き返すこともなかったのだが、ここ最近50年代のウィーンやドレスデン、バイロイトの録音のCDを集中して聴いているなかで、ふとこのCDのことを思い出して、念のために改めてプレイヤーにかけてよく聴きなおしてみた。

ヴォーカルのノイズのひどさは、記憶の通りだった。しかし、ノイズを我慢して演奏をよく聴いていると、全体の音楽の流れ自体はとても自然で生き生きとしており、チャーミングで魅力ある演奏だ。ノイズは気になるが、それでもオケの繊細な表現や、歌手の豊かな表現と表情がじゅうぶんに伝わってくる良演で、流石にベームとドレスデンの演奏だなと引き込まれる。ノイズに辛抱しながらよく聴いていると、第二幕の途中くらいでのオックス男爵のひどいノイズをピークに、ある時点から突然何事もなかったかのように、すっとそれまでのノイズが消え、きれいな音質に急に変わった。ディスク3枚目となる第三幕は、ノイズはまったく気にならなくなり、なかなか聴き応えのある迫力ある良音で聴くことができた。はたしてこのノイズはなんだったんだろう。まさか演奏収録時からのノイズとなると、DGの正規盤でもこのノイズが付いているのか?それが気になって、結局は正規のDG盤もすぐに購入して聴いてみることに。


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こちらのDG盤が、現在入手可能な上記演奏の正規盤(ユニヴァーサル)となる。ちなみに正規盤の価格は、1セット3枚で2400円くらいの普通の値段。購入したのは2014年リリースのもの。それまでは廃盤だったのか、普通に入手可能だったのか、そのへんのところはよくは知らない。たしか、以前に出ていたCDのジャケットは、元帥夫人とオクタヴィアンのツーショット写真だったと思うが。

演奏の内容としては上記廉価BOXのものと、まったく同じ演奏内容である。で、これを一聴して解決したのは、上述の廉価BOX盤の同曲の付帯ノイズはやはり、あくまでもそのバージョンに限ってのことであり、原盤からのリマスターでリリースしているDGの正規盤ではまったくそのような不快なノイズに悩まされることなく、この魅力ある演奏をきちんとした音で聴けたということである。歌手ではなんと言っても、この当時のオックス男爵と言えば、クルト・ベーメであり、クルト・ベーメと来たらオックス男爵で、まさに適役、はまり役。

第三幕の宿屋での「女装」したオクタヴィアンとのやりとりの冒頭(ナイン、ナイン、ワタシ、オサケ、ノメナイヨ)に続くオックス男爵の「Geh,Herzerl? Was denn(なんだって、お嬢ちゃん!)」の「ゲー、ハーツゥエー」の野卑さに満ちたところなど、可笑しさいっぱいで思わずプッと吹き出してしまうが、とにかくセッション収録なので歌手それぞれの歌とセリフの微細な表情のところまでが生々しく伝わってくる。最後のゼーフリートのオクタヴィアンとリタ・シュトライヒのゾフィーの二重唱で終わるところなんて、本当に美しい歌唱でゾクゾクする。あと、これより前にケンペ指揮ドレスデン演奏の「マイスタージンガー」(51年)で聴いたダーフィト役でも好印象だったゲルハルト・ウンガーのヴァルザッキがめちゃくちゃぴったりと役にはまっていて実にいい感じだ。うまい歌手だな。イタリア語訛りのみょうちきりんな早口でまくしたてる、胡散臭さ満載のヴァルザッキは脇役ではあるが、この役がうまい人で観ると(聴くと)、芝居全体のおもしろさが数段増す。印象の薄い歌手だと、単に早口なだけの脇役という印象で終わってしまうこともある。アンニーナも然り。時節柄、デリカシーがなくて野卑で自己チュー感満載のオックス男爵を快演のクルト・ベーメの絶妙の歌を聴いていると、世界一粗野で危険などこぞの大国の大統領の顔がオックスとだぶって見えてくる。(ここ追記)

音質としてはもちろん正規盤だけあって、上記の廉価BOXよりもしっかりとした音で、悪くはない。ただ、同じ頃にドレスデンのルカ教会で録音された東独のシャルプラッテンのエテルナレーベルのディスクに比べると残響がやや強めで、音量を上げると音に刺激感がやや強く感じられる。かと言って音量を下げると、音から活力と精彩さと同時に繊細さや鮮明さが失われてしまう。全体としては、この時代としては、またDGとしては悪くはないステレオ音質で良い演奏が楽しめた。上記の廉価版BOXも、上述のノイズの問題を除けば、全体の音質としては悪くはないが、DG盤が正規で正しいとすると、この廉価版BOXに収録の同曲は、最初から最後までずっと左右のバランスが完全に逆である。第一幕前半でスネア(小太鼓)が遠慮がちにタタタタ、と入るところ、BOXでは右スピーカーから聴こえていたのが、DG盤では完全に左から聴こえる。第二幕でオクタヴィアンとゾフィーの二人のやりとりのあと、中盤でファニナルと男爵が絡んでくるところは、BOX盤では左から入ってくるように聴こえるが、DG盤では右からの入りに聴こえる。こういう明らかなミスも、廉価版ならではと言うべきものだろうか。


元帥夫人:マリアンネ・シェヒ   オクタヴィアン:イリムガルト・ゼーフリート   ゾフィー:リタ・シュトライヒ   オックス男爵:クルト・ベーメ   ファニナル:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ  ヴァルザッキ:ゲルハルト・ウンガー   アンニーナ:ジークリンデ・ワーグナー 他
(1958年、ドレスデン・ルカ教会にて録音。ステレオ収録)




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来日公演ツアー中のウィーン交響楽団の兵庫西宮での公演(フィリップ・ジョルダン指揮、KOBELCOホール)を鑑賞してきた。12月2日、午後2時開演。演目は前半メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(樫本大進)、休憩15分で後半がマーラー交響曲第一番。ウィーン響は最近では2014年5月にウィーンの楽友協会大ホールでブロムシュテット指揮の「ドイツ・レクイエム」を聴いて以来。その前の2013年の来日ツアーでは大野和士指揮でマーラー5番を兵庫で聴いている。それ以前にも、ウィーンを訪れる度にしばしば実演を聴いている。

フィリップ・ジョルダンは今年のバイロイト音楽祭の新制作「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を現地で鑑賞して以来。コンサートでの実演鑑賞は今回が初めてになる。バイロイトでは指揮姿は目にすることが出来ないので、今回のコンサートで初めてその指揮姿を目にすることができた。2020年からは、メストの辞任後現在空席のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するという情報を目にした時は正直言って、かなり驚いた。ベートーヴェンとブラームスのプログラムも聴きたかったが、関西での公演はこのプログラムのみ。

演目は前半・後半ともにいたってポピュラーなプログラムということもあり、会場はほぼ満席のようだった。席は二階右バルコン10席目の一列目で、指揮姿がよく見られた。価格もA席で1万5千円と、きわめて真っ当な価格で行きやすかった。前半の主役はもちろん樫本大進なので、指揮者はあまり前に出しゃばり過ぎず、あくまでもソリストに華を持たせるように一歩手控えた印象の指揮ぶりだった。驚いたのは譜面台に置かれたスコアがミニチュア版というか、ペーパーバックをちょっと大きくした程度の大きさだったこと。多分長年使い込んで愛着があるのかも知れないが、この大きさのスコアでは実演では小さ過ぎて取り扱いにくいだろう。小さくても厚みはそこそこあるので、「文鎮」でもおかないと安定しにくいし、ページもめくりにくそうだ。実際、彼がページを繰る度に見ているこちらは結構ひやひやした。指揮棒は使わず、手で指揮をしていた。樫本大進のソロはさすがの堂々たる演奏だった。アンコールはバッハの無伴奏パルティータ3番から「ルール」。自分の席からはステージ下手側の扉の対角の位置だったので、樫本大進がアンコールを弾き終えて客席の拍手が終わるまで、ジョルダンがずっと扉の向こうで手控えていて、大進が舞台裏に戻る度に親しげにハグをしあっている姿がよく見えた。

後半のマーラー一番は、もう何回他のオケの実演で聴いているだろう。おそらくマーラーの交響曲では最もポピュラーだろうが、何度聴いてもいい曲であることに変わりない。感性豊かな青年時代のマーラーの姿が目に浮かぶ。この曲ではジョルダンは指揮棒を手にして、譜面台はなしで指揮をした。長身でスタイルも抜群に良いので、背筋がピンと伸びきった姿勢の良さが印象的だ。古い時代の日本語で「手が長い」と言うと、まったく違った意味になってしまうがそれはさて置いて、実際とても腕が長いので、その動きもよく目立つ。両腕を鶴翼に掲げて両手のひらを斜め外側に向けるポーズでの後姿がもっとも目に焼き付いている。体の動きは、流麗というよりはダイナミックさを感じさせるものだろうか。溌溂とした指揮ぶりと言う言葉に語弊はないと思う。音楽も、全体にいたってストレートでダイナミックな演奏だったが、第二楽章の柔和で優美な音楽も大変丁寧な表現で、よい演奏だった。最終章のフィナーレでは二人のティンパニ奏者がぎりぎりの間際まで打面に耳を当ててピッチの調整を続けていた。演奏のまっ最中に、全体の演奏に影響がないようにこうした調整が必要な楽器というのは大変そうで、こればかりは、いつ見てもこちらの胃が痛くなって来そうだ。

アンコールはウィーンらしく軽快に「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と「ポルカ稲妻と雷鳴」の二曲。打楽器がかなりはしゃいでいた。お正月をちょっとだけ先取りしたような気分で楽しく終了となった。

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Ein schöner Tag

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Mittag というにはいくらか時間も過ぎ、Abend というにはまだ早い午後のひと時、昨日は青空も爽やかで冷気もそれほどでなく、穏やかな晩秋が肌で感じられた。

と言っても、人でごった返した観光地の紅葉の名所でもなんでもなく、いつも通る近くの公園の、ちょっとした裏小道になっているところ。遠出せずとも、案外近くでも探せば静かに過ごせる場所は見つけられるものだ。

いつもはあわただしく通り過ぎるだけの普段の通りも、たまにはクルマを止めて一本うらてに入るだけで、時間の流れをつかの間ゆるやかに変えられる。ベートーヴェンの小径ほど自然豊かとはいかないが、鳥の声も聴こえて、ちょっとした気分転換にはなる。ウィーン郊外のグリンツィングや、ベルリンのティアガルテンのあたりも、今頃はきっと黄葉が美しい頃だろう。

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1955年のウィーン国立歌劇場再建記念ガラ公演の演奏の記録も、いよいよ残るはベーム指揮の「影のない女」と、クナッパーツブッシュ指揮「ばらの騎士」のリヒャルト・シュトラウス二作品となった。初日の「フィデリオ」があまりに有名すぎて、ほとんどクイズネタにもなっていそうな塩梅だが、他にもフリッツ・ライナー指揮の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」やクナの「ばらの騎士」、それに「ドン・ジョヴァンニ」に加えてベームの自家薬籠中の「影のない女」もベーム指揮でその伝説的な演奏の記録が良好な状態で再現でき、またそうした演奏を集中して聴くことになるとは、ひと昔前では考えもしなかった(「ヴォツェック」は未聴)。

この「影のない女」は11月9日の演奏の記録で、ORFが収録しウィーン国立歌劇場所蔵の音源をもとに、Orfeo D'or からのリリース。初日の「フィデリオ」が有名すぎて見落としてしまってはもったいないような、素晴らしい名演奏だ。歌手も全員素晴らしいし、ベームの演奏も通販サイトの宣伝文句の通り、たしかにジンジンと胸に迫って来る。ヴェーバーのバラクとゴルツのその妻の際どいやりとりは、実に胸を打つ感動的な演奏。「あなたのその優しすぎるところが怖いの」、その反動の先にありそうな崩壊への不安。しかし実のところそれは真の愛のうら返しという、際どい心理描写。いろいろな寓意も含んでいたりで、あまり他の演奏でこのCDを聴く気にはならなかったが、このベームのウィーンでの演奏で、この曲の感動をようやく真に味わえたような気がする。他のオルフェオのCDと同じく、鮮明でコクがあり、演奏のエネルギー感が生々しくダイレクトに伝わってくる力強い音質で、大きな感銘を受けた。

ハンス・ホップ(T皇帝)
レオニー・リザネク(S皇后)
ルートヴィヒ・ウェーバー(Bsバラク)
その妻(Sクリステル・ゴルツ)
クルト・ベーメ(Bs霊界の使者)
エリーザベト・ヘンゲン(Ms乳母),他
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
カール・ベーム(指)

録音:1955年11月9日

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そして最後となったが、同じ11月ウィーン国立歌劇場のクナッパーツブッシュ指揮「ばらの騎士」は Memories からのリリース。あまりよく聞かないレーベルだが、いわゆる海賊版の類いであろうか。音は案外、悪くはない。音質としては大変きれいなほうで、音割れや歪みもなく、きれいな音で安心して聴いていられる。それぞれの歌手の素晴らしい演奏も堪能できる。ただ、同じモノラルでも、それまで他の演奏で聴いてきたオルフェオやゼンパーオーパーエディションなどの「ゴリッ」としてどんどん前に出てくる鮮明で迫力ある音に比べると、やや音が平坦すぎて、クナの演奏の陰影を少々薄いものにしている感がなきにしも非ずに感じられる。もっとも、音の「きれいさ」で言うと逆にこのCDがこれらの中では最良かもしれない(元帥夫人:マリア・ライニング、オックス男爵:クルト・ベーメ、オクタヴィアン:セーナ・ユリナッチ、ゾフィー:ヒルデ・ギューデン、ファニナル:アルフレート・ペル他)


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