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ニュルンベルグ
高松宮日記
昭和12年 1937
86
新聞に秩父宮がアメリカ経由でなく、インド洋より帰るという記事があった。アメリカまわりが損でないと思う。
右のことで電報があったが、病気のためか時局のためか、どうも了解に苦しむ文句で、両方かもしれないが、よく分からない。電報の作文、落第点である。
811
9日副島伯爵が来談。1 秩父宮とロンドンでお目にかかったが、とても弱った様子なので早く帰国するように願う。
818
秩父宮がドイツへ行く希望、ドイツ駐在大使(武者小路公共)と武官(大島浩陸軍少将)より陸軍に電報があったとか。
 [現代風に書きあらためた。テーマに無関係な文は省略した。]
 
☆新聞によれば、秩父宮は帰国することに決まった。しかし、随員の電報ではその理由が理解しがたい。この日も〈分からない〉という言葉が出る。まるで東アジアとヨーロッパでのように記号が錯綜している状況の投影である。この言葉は4年後の1029日国際文化振興会の青木主事が退職の理由として話した〈よく分からない〉に反響する。
副島道正伯爵の訪問は危機感を強める。肺炎で衰弱している秩父宮を帰国するよう説得したのだろう。秩父宮は皇族としての責任感が強すぎるのか?
 
一方、ドイツ駐在大使武者小路公共と武官大島浩陸軍少将は無理をしてでも秩父宮とナチス・ドイツを結びつけようとたくらんでいた。電報は、〈秩父宮がドイツへ行きたいと希望する〉〈秩父宮のドイツ行きを希望する〉という解釈ができる。本国の陸軍に電報を打つのは、重大問題であることを暗示すると思う。
 
ニュルンベルグで開催される伝統のナチス党の大会に日本の皇族が出席するなら、秩父宮自身がナチスを否定的に考えていても、皇族の参加というこのプロパガンダは世界を方向づけるにちがいない。
 
大島浩は1940年ドイツ大使として日本・ドイツ・イタリア三国軍事同盟を結んだ。極東国際軍事裁判ではA級戦犯として起訴されて終身刑。
 
 
Filming;2010.4.9 大館橋南交差点
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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