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天保14年 18437
☆先頃、松前から沖2百里北の方向に、唐船数百艘が沖に掛かり居るということで、松前から津軽に御知らせがあり、そこから当国にも御知らせが来たという。そのことで松前から上方へ船を通わせて、唐船のために登兼西磯へ着岸したという。当国では湊と能代にも塩引と塩鱒が大量にきたので、17日タカノスの市で塩引と塩鱒が格別安値になった。
                                  [現代風の文章に書きあらためた。]
 
☆蝦夷地の松前の北800kmと言えば、カラフトと大陸のあいだである。そこに外国の船が多数いるという報告が松前藩から津軽藩に、そして秋田佐竹藩に伝えられた。
 
異国船は大量の塩サケと塩マスは運んできたので、上方(関西地方)に船を通わせた。登兼西磯がどこにあるか、分からないが、そこで異国船から魚を受け取ったのか?明確でないのは、合法性のあいまいなグレイ・ゾーンで国際的な取引が行なわれたという背景にあるだろう。秋田では土崎の湊と能代に船が来た。
 
江戸に報告して許可を得たか、別に記されていないが、これは鎖国制度に違反するように思える。しかし、大飢饉の末期で幕府に対する無言の反感が強まっていた。

 
〈唐船〉という単語が出るのはそこだけである。交易関係のある中国の船なら西洋の船よりもショックが少ないだろう。
 
天保の大飢饉では魚について一言も書いてない。年代豊凶録には天保11 (1840) 年にはじめて、〈大川(米代川)で鱒大漁。古来聞いたことがない。〉
しかし、無感情な短いメモではないか?戦前の米代川では天然のサクラマスが取れた。
 
塩サケ塩マスの記事のあとにつづくのが水質汚染の疑惑がある甘酒婆の怪事件である。無感情な短いメモと関連付けて考えなければならない。
 
 
 
 

 
Filming; 2013.5.18 きみまち阪
 
 

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