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年代豊凶録
慶応3年 1867
415日、天気吉。今日午前10時綴子村で出火。通町勘左衛門が火元で下町が残りなく焼失した。家数50軒あまり、土蔵5つ落ちる。まず風が静かなので、下町だけで鎮火した。風が激しかったら、上町も危なかっただろう。今日は切支丹どもが馬調べの御用で、御扱い渡辺藤治様に引き移しにするところだったが、右の仕合せは恐れ入ったことである。
[現代風に書きあらためた]
綴子は宿場として栄えた。高台の上町には綴子神社と宝勝寺があり、藩や幕府の宿として利用された肝煎り(首長)高橋家の屋敷があった。羽州街道に面した下町には商店や民家などが並んで、鉄道が通るまでにぎやかな地域だったようだ。
 
年代記の中でただ一度最初で最後〈切支丹〉が出るが、これは火事と関係があるような記述である。〈馬調べの御用〉が中止になったと解釈するべきか?しかし、〈馬調べの御用〉とは何か?
 
キリスト教禁止の時代なので、普通なら〈切支丹〉が登場すれば、悲劇の場面である。とはいえ、王政復古が10月行なわれることを思うと、それは過去のことかもしれない。そういう希望的な推測が浮かぶ。解読に悩まされる。
 
幸運なことに火事は上町に燃え移らなかった。火事の原因は何か?
 
 
Filming; 2015.5.3 二ツ井町 きみまち阪から見た米代川と七座山
 
 

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