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年代豊凶録
天保4年 1833
523日より雨が少し降り、畑植えものをした。63日昼より大雨、4日より6日まで大洪水。寛政10年同然で、樋橋が無残に外れて、田畑一円が水にもぐった。関筋と川前で川欠けが数か所あり、御上様は御苦柄になった。
 
夏土用になり、毎日雨が降り、冷気になり、綿入れを着た。天明の夏と同じであるという。老人の話し合いにあった。
 
616日大洪水。樋橋が外れた。東風が吹き続き、雨が降り荒れたので、米の値段も日々増し上がり…[]
 
628日朝、露か霜のようで、水たまりに薄く氷が張り、人の息が見えた。こういう冷気は昔から聞いたことがない。7月になると、稲虫が生じて、小糠を降りかけたように田の表面が見えなくなった。
 
79日市で米110貫文、22日米内沢市で10500文、27日鷹巣市で11200文になり、上も下も薄氷を踏むようだ。[]
 
秋の彼岸になったが、稲の穂が出ない。
 
8145日ごろより津軽から百姓乞食が引っ越してきて、駅路は言うまでもなく、在郷にも大勢入り込んだ。天明の飢饉以来このようなことは聞いたことがない。後日引越しの人数およそ3000人と知らされた。
[現代風に書きあらためた。]
 
517日から七座天神宮で雨乞いしたら、雨が降ったのはいいが、大雨が降り続いて大洪水を引き起こした。樋橋というのは、宙に浮かんだ水路の橋のことである。現代はコンクリート製だが、当時は板の水路と木の橋脚なので、洪水の圧力には脆弱である。
 
関筋は、かんがい堰の辺りという意味だろう。川前とは何か、明らかでない。川欠けは、堤防の決壊のことらしい。将軍が苦悩したのは、想像を超える被害だったからだろう。
 
7月後半から気象は険悪に変化した。雨と冷気。天明の大飢饉の夏のように人々は綿入れを着た。17才の屋政(いえまさ)は、その話を老人たちから聞いた。
 
616日ふたたび大洪水に見舞われた。米の値段が上がりだした。〈上も下も薄氷を踏むようだ〉という表現は、異常な寒さに引っかけた諧謔である。
 
稲の穂が出ない秋の彼岸。津軽から引っ越してきた百姓乞食の姿が目立ちはじめた。駅路は羽州街道のことで、その周辺地域の村々を在郷と言っていたようだ。田舎では〈じゃんご〉と発音する。
 
この大飢饉の地獄絵巻は《天保凶飢見聞録》に記録されている。翻刻校注者の松橋栄信によれば、祖父長谷川貞顕の協力で屋政が記したようだ。引退した貞顕の個性のように思えるのは、角館村の騒動の記述である。これは事件の現場にいるような映像的な迫力を感じさせる。同時に、フランスの詩人ルイ・ベルトラン(Louis Bertrand)の詩集〈夜のガスパール Gaspard de lanuit〉を想い出させる散文詩の深みがある。これは20才前の屋政には無理だろう。
 
 
 
 



Filming;2010.4.16 北秋田市 綴子集落


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