ヨネシロ・ペイパーズ

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安政67 18598
最近、能代でコロリ病が流行して、日々病死人があるという。去年江戸表で流行した病気と同じく病が付いてからすぐに3時間か6時間内に死ぬという。この病気の多くは浜家業の者のみ病死するという。この病気の根元は沖から来る大船の中から出るというので、色々な風説がある。それについて御上様から病気係りの医者二人、久保田(今の秋田市)から能代に派遣して置いたということである。
それから病気は次第に村々に広がり、山本郡海岸通り、男鹿南北磯通り、湊(今の土崎)、新屋、御城下まで相煩うようになったという。8月中、阿仁比内の村々でも村ごと毎夜念仏鉦(かね)太鼓で疫病除けの祈祷祈念をして騒々しいほどであるという。一里渡りからこの方には病気が来ないというので、ありがたいことだと思う。流行病の病除けの薬方などの品々を御上様から命じられて渡したということなので、ありがたいことだと思う。のちに聞いたところでは当年上方筋の諸国ではこの病気が流行している。昔から日本にはない病気であるという。アメリカには常にある病気のようで、近来アメリカ渡来で生じたと相聞いたり話したりしている。いずれにしてもアメリカは日本の仇である。憎むべきである。
[現代風の文章に書きあらためて、段落をつけた。]
 
コロリ病は1年後恐れていたとおり秋田でも流行した。真夏、まず最初に米代川河口の港町能代で病死人が記録された。漁民と漁業関連の仕事をする人たちに死亡者が多いというのは、コロリ病菌が海から来ると推測させる。異国船に疑念を向けるのも無理はない。
 
長谷川貞顕と孫の屋政(いえまさ)異国船に敏感な反応を示した。
文化4(1807)5(旧暦)---異国の兵船、松前に来る。
天保14(1843) 6---唐船数十艘、松前に来て上方に向かう。能代と湊で塩サケと塩マスを売る。
嘉永元(1848) 4---異国の賊船数百艘、松前沖から津軽沖に漂白、深浦に来る。非常警固。八森沖と男鹿沖にも現われる。異国の船、この年日本国中の海岸通りを漂白。
安政5(1858) 8---アメリカ船、男鹿に漂着する。
 
しかし、コロリ病流行の年異国船が能代の港に来たという記録はない。土崎など秋田の港に入ったという記録もない。
 
阿仁比内の村々で不安が強かったのは鉱害を恐れる心理と同じだろう。
一里渡りとは、北羽歴史研究会の会報によれば、米代川と藤琴川合流地点の小繋舟場のことである。コンテクストから比内と大館を結ぶ餌釣(えつり)地区のことか、と思ったが、きみまち阪の小繋寄りにある舟場だった[1]。明治維新の内戦で侵略した南部藩の軍隊が政府軍に敗北して追い返された歴史的な地域だ。
 
屋政の子屋孝(家孝いえたか)は今の大館市板沢の戦いで南部藩の〈計略〉を見破り、それが最終的な勝利につながった。しかし、コロリ病の流行のとき屋政は医学的な素養もある人だが、だまされて邪説を信じた。
 
〈アメリカには常にある病気〉〈アメリカ渡来〉という説明は、真実から遠い冗談である。これはコロリ病の流行がアメリカを憎ませるために仕組んだ幕府のテロであることを証明している。旧来どおりの徳川幕府体制を維持強化する意志が示されている。開国は人と文化の開放を意味しないというメッセージがある。
 
北日本で唯一、秋田でだけコロリ病の被害が出たことは記憶されなければならない。
 
 
1 北羽歴史研究会の会報NO.211
 
 
 
List 8 歴史 世界と日本
 
 
 
Filming; 2013.5.18 藤琴川と米代川合流地点 きみまち阪 向こうが小繋
 
 
 

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安政57月 18588
江戸表で7月中不思議な疫病が流行。コロリ病と名づけたという。この病気にかかると、6時間か12時間、24時間過ぎれば、死なないという。その時間内に多くの人が死ぬという。江戸の町の中で毎日1000人くらいずつ病死して、30万人死亡したということで、前代未聞である。この病気を治療する処方箋なども送って来るという。江戸の御屋敷から城下へ飛脚で送って来るという。その他、種々の物騒なことがあると聞いている。
 
1853年アメリカのペリー提督が開国を要求してから2年のあいだに日米和親条約と日英和親条約、日露和親条約が調印され、5年後の1858(安政5)には修好通商条約がアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと結ばれた。徳川幕府の鎖国政策が終わり、日本の港が開放された。下田、函館、神戸、横浜、神奈川、長崎。
 
修好通商条約交渉と並行して、大老井伊直弼は条約反対派を弾圧した。世に言う安政の大獄である。しかし、感染症のコレラも江戸で大流行した。当然のことながらコロリ病は異国船から移されたという流言も広がった。死亡者の数については10万人という説がある。[1]
 
江戸の人口は約600万人。世界で最も人口の多い都市だったらしい。といっても、地方から流れた貧民が多かった。
 
 
 
年代豊凶録より
1 wikipedia
 
 
Filming; 2009.9.28  二ツ山から見た長木川 沼館地区
 
 
 

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☆大館のアメッコ市に関する記事は、《年代豊凶録》にあるだろうか 
そういう疑問を持つ人のためにあらためてページをめくった。目が疲れた。見落としていなければいいが、アメッコ市らしい行事は記されていない。
 
しかし、天保10年に大館柳町のあめ売りが大飢饉に苦しむ南部の三戸に行って怖い思いをしたという信じがたい話がある[1]。大館のあめは周辺地域でも売れていたことが分かる。人気があるから、苦労して売りに歩いたのだ。危険な旅だが、根性があるね。
 
あめ売りは、映画のシーンで何度も見たように街の通りで飴細工箱を置いて売ったのかもしれない。あめ売りが町の中に何人も集まれば、自然にアメッコ市になる。別にめずらしいことではなかっただろう。

 
 
1 青森県三戸(さんのへ)町。
 
 

 
 
Filming; 2016.2.14 山田桂月堂のアメッコ
 
 
 
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Filming; 2016.2.14 アメッコ市の大館橋
 
 

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嘉永6年 新暦185378日 
63日相州浦賀にアメリカという異国から大船4艘渡来 (船の大きさは長さ7,80間という) 、日本国にさまざまな種類の願いがあるという。その国の大王から日本大皇帝に臣下へルリという人を派遣して書簡を持参したという。そのことについて浦賀奉行からお届けがあり、さまざまな応接があり、大船はすでに江戸内海にも入り込む様子で江戸にいる諸大名は言うまでもなく国にいる諸侯も急に御用召しになり、軍馬の用意などすべて普通の騒動でないが、諸国それぞれの才覚もあり、次第に湧きあがるように騒々しくなったということである。
 
異国の船は611日帆を上げて帰ったそうであるが、来年の3月頃回答の書簡を受け取りに来て、日本の返事次第で一戦におよぶという。もっともアメリカという国から日本まで海路18千里あるので、18日か20日渡来するという。

 
異国の船の拵え方は車が4個付いて、中に火を焚き、その火勢で往来するという。火輪船とか蒸気船とかいうようだ。艪と櫂は使用しない。出没迅速で飛ぶようだという。しかも船の中に大砲と鉄砲、石火矢など数多く積みこんで来るという。異国の船は一応去ったとはいえ、いつ渡来するか予測しがたいので、海岸の国々は用心のため、御国でも新屋浜、湊浜、能代浜などに御陣場並びに長間の土手などを莫大に築き立て置いたということである。この件については覚書の別冊がある。
                          [現代風の文章に書きあらためて、段落をつけた]
 
☆《年代豊凶録》は、巻二の前書きによれば、祖父の長谷川貞顕(さだあき)が慶長元年から年々の珍異豊凶のことを手帳に控えていたのを孫の屋政(いえまさ)が集めて一冊につづり、屋政が見聞した事柄を書きたして慶長から嘉永三年までを巻一、同四年から巻二として発行したものである。
 
《年代豊凶録》は鷹巣太田栄村と米代川流域の出来事が中心だが、ときどき重要な政治情勢についても関心を向ける。ペリー提督が率いる黒船が徳川幕府に開国を要求した事件の記事は、歴史をリアルに立体的に再現するために参考になるにちがいない。
 
この記事は最近の日本を映し出す。安倍首相が国会で演説したように文明開化の前夜にある日本を。そこで何を考えて、どう行動するか?
 
おもしろいのは、長谷川屋政が蒸気船という西洋の船について明確な情報を持っていることだ。これは屋政が鉱山と精錬所にひそかに関係していたのではないか、と疑わせた。想像させたと言うべきだが、屋政は蒸気機関が鉱業その他の近代化に絶対に役立つと認識したかもしれない。
 
湊浜とは土崎の浜のことである。
御国とは佐竹藩のことだが、当時はそう言っていたようだ。
 
注記
年代豊凶録;  松橋栄信 校注 成文社 出版
 
 
 
 
 
 
Filming; 1999.9.27 米代川 旧二ツ井町小繋 七座神社前の観光船
 
 
 

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開国の動きに揺れた幕末、〈年代豊凶録によれば、鷹巣地域で2度不思議な煙による大気汚染が起きている。1855(安政2)日露和親条約が結ばれてから半年後の8天地が霧のようにかすんで〈煙の匂い〉のようで〈諸方痢病大流行〉〈大小人病死〉した。記憶にないことだった。1862(文久2)7月には似たような現象が発生して、銅山の焼き釜に事故の原因を求めて、外出しないように警告する。テロの疑いがあると以前書いたが、それだけではない。その年は諸国に麻疹が流行して北秋田地方には6月末から広がった1
南比内、大館、扇田、十二所、二井田辺りは非常に荒れて死者が多い。特に懐胎中の女、病人、乳飲み子などは助かるものが少ないという。麻疹除けの呪(まじな)いとして、大館御城様が乗る馬の飼い葉桶をかぶれば、麻疹が軽く安んじるというので、大館近在では毎日御城様に男女が群集するということである。しかしながら、その人たちも天命次第で、格別の霊験もない。〉城主は佐竹義遵(よししげ)である。
 
 
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Filming; 2009.6.6 比内町扇田 米代川 旧舟場
 
 
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Filming; 2016.1.31 桂城公園 大館城跡
 
 
 
 

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