序 透き通る初秋の青空に・・2機の零戦が・・ 円を描いて飛びながら・・弾倉に残った機銃を撃ちつくすと・・ 南の空に飛び去った。 1945年9月満州はチチハルの地。 公園のテニスコートのフエンス越しに見える家から、 磨きこんだ黒の長靴を履き、戦闘帽を被り、軍装を整えた軍人が背筋を伸ばして・・一人黒塗りの乗用車に乗り込むと・・北へ走り去った。 ソ連軍が入ってくる!!・・若い女子は危険だから髪を切れ・・との話を聞いた。 2階建て赤レンガの満鉄の社宅の入り口は全て頑丈な木で閉ざされ、小さなくぐり戸が取り付けられた。 2階の私の家の、押入れの厚いレンガの壁に・・隣の家へ人が通れる小さな穴があけられ、6軒続きの2階建て社宅は外を回らず非常の際に行き来できるようになった。 まもなくマンドリン(自動小銃)を抱えたロシア兵が来て、家々を捜査し、戸棚を開け押入れを探し、眼鏡と時計・ライター・カメラなどの金目のものを奪っていった。 ロシア軍が引き上げると、町に自警団が作られ、その自警団が棒の先に磨かれた槍のような穂先を取り付けて、空き缶を試し突している妙な光景を私は町で見た。 やがて・・公園と学校の南に続く果てしない原野の向こうから、八路軍がやってきた。 対峙した町の自警団と八路軍との戦いは夜中じゅう続き、大人たちは屋根の上に登ってその戦いを見ていた。 機銃の音と・・時々砲撃の音が断続的に続き・・馬車の走り回るけたたましい音が夜の闇に響き・・・明け方・・馬車の走り回る音が急に北へと変わると・・自警団は逃走していった。 自警団が逃走の際、日本軍から引き継いだ武器弾薬を焼く爆発音と青い閃光が・・空け行く空に青く光り轟いた。 戦いが終わり晴れ渡る明るい空の下に・・昼近くから始まった八路軍の整然たる入城行進は夕方まで続いた。 それは不思議な光景だった・・まるで乞食の行進だ・・だが・・乞食と違い・・汚れのない・・洗いざらしのさっぱりとした服を着てはいるが・・それはまるで軍隊ではない。誰一人軍服を着ていない・・思い思いの厚手の服装に棍棒をぶら下げてい!!まれに銃を担いでる者がいるが・・殆どが手ぶらで・・歩調も取らずに粛々と歩く・・とても行進とはいえない入城行進・・一体これが軍隊なのか? 小学1年の私の見た不思議な光景だった。 日本軍の戦車やトラックの曳く野砲・・磨きこんだ軍馬に乗る軍刀を下げた将校と・・きりっとした軍服の美しい兵隊。 それとは全く違う八路軍の行進を私は飽きず家の窓から眺めていた。 中学の校長は大和民族の優秀さを絶えず朝礼で訓示した。 子供たちはその校長に大和民族とあだ名をつけた。 鬼畜米英と叫んでいた国民が、厚木に降り立ったマッカーサーを見て・・ウエルカム・マッカーサーと豹変した中で・・大和民族とあだされたその校長は浅黒い顔を振りながら・・子供たちに大和民族の優秀さを説き続けた。 そのころ警察予備隊が出来・・続いて自衛隊へと変っていった。 世の中が落ち着いてきた頃いろんな戦記物が書かれだした・・。 一体誰があんなバカな戦争を始めたのか? 一体アノ戦争はなんだったのか? 私は考え・・戦記物を読み続けただが・・何処にも・・誰もその根本的な原因を書き記したものはなかった。 どの本にも書かれていたのは・・参謀の無能を・・作戦の無謀さを・・大本営の無策無能を罵倒非難した・・単なる結果論ばかりか・・あるいは・・もしあの時こうしていたらの・・IF・IF・IF論だった。 答えを見つけられぬまま読み進んで・・幕末に至りその答えを見つけて僕の疑問は氷解した。 幕末の思想家であり歴史を動かした橋本左内・横井小楠・佐久間像山・勝海舟の書いたものの中にその答を見出したのだ。 |
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ご意見拝読致しました、何一つ反論出来得るものを持ち合わせておりません。明治以降も個人的には、立派な方々はおられたのだと、思いますが 小生は、明治維新そのものが、日本文化を、堕落させ結果として、かの大戦まで突き進んだとの 思いは変わりません。明治元勲達は確かに勉強家であり努力家で有ったと思いますが、彼らには、足りないものがあります それが、品格でしょう。
2006/5/10(水) 午後 4:51
その品格の無さが、日本古来の思想を否定し、西欧への極端な、憧憬から 日本を急激に、西欧化したのでしょう。明治期から昭和初期までの地方と 都会の文化的な乖離は、その急激な変化に付いて行けない、地方と言う側面を如実に表しております。もし維新が、あの様なハードランディングでなければ、恐らく日本は、ゆっくりと近代化の道を歩んで、結果として かの大戦を始め、日清戦争、日露戦争、日韓併合は無かったと思います。 当時から、既に日本国家には、品格など無く、そこには貪欲な、商売人国家が見え隠れします、貪欲なだけの
2006/5/10(水) 午後 5:01
見解に相違があります。儒教というエートスについては征韓論の西郷隆盛が非常にそれを体現しており大儒佐藤一斎をバイブルとしてます。いわゆる儒教は礼教であり元首将軍が突然天皇という朝鮮から見てわけの分からない物になった。しかも仁義の道徳から士族を見捨て得なかった。新制度においてはキリスト教モデル国家神道体制に儒教も天皇への忠と教育勅語等として吸収されていたという見解です。
2006/6/6(火) 午後 11:27 [ wfe*1* ]
もう一つは善悪あれ国家の創業者とも言える山県らの目の黒い内は鶴の一声で軍内対立があっても重しがあった。文官対立も伊藤や維新時は15歳で国家創業者と言えるかどうか分からないが西園寺までの元老の重しがあった。それが亡くなって対立論功行賞で野心家達を抑えるものがなくなり暴走したという重しの戦後国家再建元老が絶えつつあり特に外国動向に振り回される戦後日本現代と同構造という見解です
2006/6/6(火) 午後 11:33 [ wfe*1* ]
もう一つはソ連建設で予想だにしない当時の世界政治経済情勢の激変で今までと同じ対応が為政者がしても通用しない世界になり年金と同じくその場対応で迷走して爆発した。これはソ連崩壊によるバブル暴走後の現代日本も同様と考えます
2006/6/6(火) 午後 11:37 [ wfe*1* ]
特に西園寺に後事を託されたはずの近衛の迷走ぶりはひどい。いやになれば投げ出すとか路線変更の繰り返しだの蒋介石も元来親日で満州はあまりに広い中国統治に足かせになるから日本に暮れてやって手を結ぶという考えだったがそれをはねつけ割拠する反蒋軍閥と利権蹉跌を踏むうちに蒋介石に頭ごしでアメリカと手を結ばれて泥沼にまきこまれた近衛、さらに親族である昭和帝お気に入りでもあった東条登用等の失策が一番大きいのではないかと思いますが。
2006/6/6(火) 午後 11:47 [ wfe*1* ]
逆に私は人工的にイデオロギーになる前の国家以前部族信仰である祭りだけの神社や寺や修験や儒教道教の習合形態の和の精神や大陸、半島に比較し聖徳太子から天武朝建国以後は全く流血がクーデターの域を出ず、大陸半島の民族、氏族、宗教殲滅的破壊がなくなった起源を聖徳太子の和の精神に求めますが。
2006/6/6(火) 午後 11:56 [ wfe*1* ]
橋本左内ではありませんが、感銘を受けた話があります。「大東亜共栄圏建設」の大義でマレーシアに渡った日本兵の数人が、戦後日本へ帰還せずマレーシア共産党に入党してマレーシアのイギリスからの独立を戦ったという話です。責任を取るとはこういうことだ。
2006/6/17(土) 午後 10:14
捏造すれば良かろう。全部朝鮮人が仕組んだ陰謀だと。
http://blogs.yahoo.co.jp/danpey39/30930680.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ib200574/51530999.html
http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/44360798.html
証拠は必要ない。結局は怒鳴り散らした者が勝つのだから。
2008/1/19(土) 午後 5:43 [ IB ]
中国人と日本人が主張する「南京事件」byラメフォンテ
http://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/53554597.html
これ、どう思う?
2008/2/25(月) 午前 0:30 [ IB ]
満州事変を起こしたのがドイツ帰りの軍人さんで止めに入ったのもドイツ帰りの軍人さんってことは双頭の戦略では・・。ドイツ帰りの陸軍の軍人にも統帥権がある。ドイツ人が黒幕ではないでしょうか?
2008/9/9(火) 午前 1:18 [ maturinn ]