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東京都立上野高等学校 昭和32年卒業
当時は受験校として知られ東大入学ベスト10に入っていた受験高だった。
ほとんどを実名で書くがすでに社会に知られてる者だからかまわないだろう。
入学して隣に座ったのが山内弘史 ツバメコート社長。
ダイエイ中内功・そごう水島廣雄などの経営の神様の偶像が地に落ちて破綻した余波を受けて彼も会社を閉じた。
会社を閉じてまもなく酒を飲んだがこれほど山内の明るい笑顔見たことはなかった、すべてを捨てて会社経営の重圧から逃れた笑顔だ・・僕のように自分で始めた会社ならば僕の責任でどうにでもなるが、親からゆづられた会社は重たい。
拡大して当たり前・・・譲られた会社を拡大して力尽きた。
横山町の問屋街にあった彼の家でよくマージャンをした、メンバーが足りないと彼の親父が入ったことも有る、金縁のめがねをかけた小太りで色の白いゆったりした親父だった。
夕飯に実にうまい湯麺が出た、まかないのおばさんが作るという・・山内もうまいだろうと自慢していた。
会社を閉じ・・・柿の木坂の豪邸から出てマンションに移ったとき尚代は
「狭いのよこの家が」と笑った
「いいじゃあないか手を出せば手の届く人生は」と僕は冗談を言ったが。
山内尚代・・・山内の嫁さんは生駒尚代、同級生で同期の親友だ・・僕の頭では今でも生駒尚代でしかない。
青木純一郎 順天堂大学教授
上野高校野球(軟式)の部長で対外試合で部員が8名しかいないのでお前出てくれ・・・と1年のとき僕に頼んできた・・柔道部で運動してるから大丈夫だろうというやむおえず江北高校まで試合しに行ったが・・僕は球技が駄目だ・・試合に勝ったのか負けたのか記憶にないが。
運動生理学とか言う道で売れてるようでTVや新聞で何度か見た。
青木純一郎で今検索したらずいぶん本が出てきた。
川口義彦 社会保険労務士
入学時の自己紹介で実に愉快な話をして笑わせた・・厚い眼鏡をかけて秀才に見えたからみんなが級長に選んだがすぐに化けの皮がはがれて岡本に代わった。
僕が放校処分を受けそうになった原因のひとつが彼にあるのだが、今でも青春のすばらしい思い出のひとつだ。
数々の思い出とともに今日迄の親友だ。
演劇部の部長だが遊び仲間をほとんど勝手に演劇部員にして・・台本に僕など時代考証として書き込んでいた。
社会保険労務士の国家試験を制定して勝手な参入を防いだのはいいが自分の息子が受からないとぼやいていた。
川口義彦 社会保険労務士で検索するとたくさん出てくる。
岡本吉司 大蔵省
川口の次に級長になった・これは本物の秀才だった、確か現役で東大・大蔵と進み50歳ぐらいで国会で大蔵委員として答弁をして引退をして財団等を渡り鳥して・・週刊誌にだいぶ叩かれたらしいが読んでないので僕は知らない。
ある日新聞を読みながら夕飯を食べていたら、TVから聞いたことの有る声が聞こえたので見ると岡本が国会で答弁していた・・これには驚いた。
酒を飲んで話していたら
「困ったことがあったら電話して」と岡本が名刺をくれた「大蔵省国税局」とだけ書かれていた。
まもなく困ったことがおきて大蔵省に電話して「岡本吉司さん」とだけ話したらすぐに彼が出てきた・・助けてもらった。
証券会社に勤めている内沢昇が言うには・・ここで酒を飲んで気楽に話してるが業界ではとても岡本などに近づくこともできない・・とのことだった。
岡本吉司で検索するとでてくる。
小川辰麿 歯科医
昼飯を食いに行こうと誘われて着いていったら谷中のおでんやだ、彼が飲もうと酒を注文して冷酒を飲んだ。
昼からの授業は英語だ・・小川は手を上げて質問してるが僕は心臓がドキドキ・・と隣の女子が「お酒臭い」と言う。
僕は黙って教室を出た、特に親友ともいえないのだが・・彼はがり勉で歯医者になったようだ・・谷中の歯医者の息子だった・・だったということはだいぶ前に鬼籍に入ったと聞いた。
仙台〜東北?で名の売れた歯科大の教授だったというが検索では出ない・・早死にしすぎたようだ。
平野琳人 絵描
僕の相棒だ・・このブログにもたくさん彼の絵を貼り付けてある。
検索したらたくさん出てきた、よく見ると淋人ではなく琳人だ、平野の親父が淋病の淋だ、といったのを真に受けて今まで淋だとばかり思っていた。
平野叡が本当なのだが絵描きになって変えたから僕はよく知らなかった。
それまではCMの作家をしていた、彼の家に泊まったとき電通の偉いのが明け方に来てその日の打ち合わせをしていた。ビールのコマーシャルで笑っていた男の人だという。
生駒尚代・佐藤水子・平野・僕とでよく新宿で遊んだものだ、仲の良いほのかな恋心を持った4人組だった。
佐藤水子は
最近行方不明だ幹事の鳥居さんにも判らないという、鳥居さんと水子と3人で京都を散策して大安の柴漬けを買って帰った頃は婦人服の店をやっていたようだが・・店を閉めてからは行方不明らしい。
2年ほど前に石山の墓参りのために平塚で乗り換えた、その車両の隅にミイコ(佐藤水子)にそっくりな人を見て驚愕した・・・しばらくミイコは石山にくっいて錦糸町の喫茶店で一緒にいたことがあるのだ、平塚の女性はふっくらとして皺のない30代に見えた・・ミイコがこんなに若いわけはない・・しかしそっくりだ・・よほど声をかけようかと思ったが絶対ミイコであるわけがないが・・・見た目には・・全くミイコなのだ電車は次の駅で止まるとミイコはホームへ降りてゆっくりと僕のほうへ歩いてきた全体に少し大柄だ。
いずれまたゆとりがでてきたら鳥居さんには連絡が来るだろう・・同期会に出てくるかもしれないから話を聞いてみるつもりだ。
鳥居一美
幹事の鳥居一美さんは石山が死んだころから同期会の幹事をしてくれている。
中学からの同期で付き合いは長い。
美人だから何度も口説かれたろうが結婚せずだ、京都に遊びに来て・・僕と奈良・京都を季節のいい時期にずいぶん歩いた、ほのかな恋を感じながら。
好いものだ、嫁さんはそれを感じ取り鳥居さんだけは拒否する、近藤の嫁さんや生駒・矢沢はうちに泊めても鳥居さんだけは駄目なのだ。
近藤英一 歌手
ブログに彼の終わったデナーショウのパンフレットが貼り付けたままだが。
彼は音楽部で文化祭に歌劇をやり、川口が演劇をやり、僕はバンドを組んでやはりステージに出て放校処分を受けそうになったときからの付き合いだが、それほどまともに付き合ったことはなかったが卒業後親友の一人になった。
近藤の嫁さん都は京都にひとりで遊びに来て予約せずに京都ホテルに泊まろうとして泊まれず困った、とTELをしてきた。家に泊まれというと喜んで泊まりに来て・・・次の舞台で歌う歌だから聴いてくれと、練習代わりに応接間で歌を聞かせてくれた。
近藤 都・近藤 英一 と同じ宇井さんの弟子ということだが僕はミヤちゃんの歌のほうが好きだ・・実にうまくて心と声量が有るが・・近藤英一 を立てるためにかほとんど歌わないらしい。
検索するといろいろショウででてくる。
吉田征雄 音楽家
もっとも若いうちから名前の売れた親友だが・・検索するとところどころで引っかかる。
ゴジラ?かなんか怪獣のTVの音楽をつつけて名が売れていた。
学校の秋の文化祭?なんといったのか覚えていないのだがいい加減なバンドを組んで・・6人で出て騒いだとき酒を飲んで司会をして大騒ぎになった・・で退学処分になりそうになったのだが・・今でも親友の一人だ。
石川嘉司僕の名前です検索しても出てきません、ブログ 柳 四郎 で検索するとたくさん出てきます。
後日書きます。
長谷川清一・花田茂・小林好晴・萩原靖久・森康・松沢耕太郎・内沢昇・矢沢みち子・
望月昭・小林一紀
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