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yamazakura_bana
riyushirou3987さんこんにちは。
柳四郎
ハイお早うございいます・・旅の途中ですか・・遊び?仕事?
旅館だとネットにつながらない・・ビジネスホテルだとつながるところも・・携帯で??
自分と関係ない書き込みとは理解しませんので。
yamazakura_bana
あなたの思いこみは仕方がないが、あなた宛の書き込みではないことは確かなこと。
書いた私が言っているのだから、間違いはありませんよ。
自分宛ではない書き込みを、自分のブログにはるのは、やはり物好きでしょう(笑)
柳四郎
大和心のように腹芸の好きな民族です・・目でものを言うとか・・言わぬが花とか・・男は黙って・・とか沈黙は金とか・・・とにかく直接言うことははしたない・・婉曲に言う・・誰に言うともなく言う・・一人事のように言う・・とか色々ありますね。
物好です・・ブログを起こしてること自体物好ですし・・こうして書き込んでること自体物好です。お笑いください。
yamazakura_bana
書き込みは拝見。
つまり、「もののあわれ」をあなたはご存じないということでよろしいでしょう。
そして、本居宣長についても、あなたは書いてはいるけれど、実は余りご存じない。
それでよろしいか。
柳四郎
本居宣長の「もののあわれ」の説明しか知りません・・ただ・・それはあくまでも本居宣長の「もののあわれ」に過ぎませんから・・当然浅薄なものです。
yamazakura_bana
それから、私は何も変わりません。
変わったと思うのも、あなたの自由ですけれどね。
柳四郎
そのようですね・・柳に風・・今までどおりというか・・旅の途中で・書き込めないというか・・よく判りませんが。
yamazakura_bana
やまとだましひ(大和魂)
この言葉が、文字として日本で最初に表されたのが、源氏物語であることなど、このトピでは常識であることを、申し上げておきます。
柳四郎
やまとだましひ=大和魂ではないようですね。倭和魂に近いのでは。
http://www.isis.ne.jp/i/483/6.html
第四百八十三夜
山本健吉 『いのちとかたち』
(6/9)
こうして本書は、「からざえ」に対するに「やまとだましひ」が対置できるのだと考えた。
すでに「やまとごころ」「心だましひ」「世間だましひ」などという言葉は平安中期につかわれていた。「やまとだましひ」は『源氏物語』少女の巻に早い。初出かもしれない。そこにはたとえば、「なほ才をもととしてこそ、やまとだましひの世にもちゐらるる方も強うはべらめ」とある。
津田左右吉はさすがにこうした平安期に発していた和魂漢才の意味を取り違えなかった。漢字漢文漢詩にもとづく漢才に対して、どのように和魂としての「やまとだましひ」を対応させるかを、『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の第1巻で説いた。では、この見方が取り違えられて国体思想と結びつき、和魂漢才が和魂洋才にスライドしていった原因をつくったのはどのへんかというと、山本健吉はきっと大国隆正あたりだったろうという。大国は平田篤胤の門下生である。
yamazakura_bana
改めて、「大和魂がない」の例え・・
ある男の家に泥棒が入り、男は縄で縛ばられ、家財道具一式を盗まれてしまう。
怒った男は泥棒に説教はじめ、泥棒とは如何に悪いことなのかを説く。
怒った泥棒はこの男を殺してしまった。
こういう男の行為を「大和魂がない」と日本人は言ってきたようです。
では、「大和魂」とは如何に!
柳四郎
お教えください
「大和魂がない」=泥棒ですか?怒った男ですか?
どうも・・どちらにしても。文学の世界はどうも理解できないので。
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