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大和心
okinawa_rabit2001/ 8/21 11:21 [ No.1
最近、滅多に聞くことが無くなった言葉。大和心。
日本を日本たらしめる心、それが大和心です。
日本人が代々受け継いできた祖国の心です。
「誠実・勤勉・奉公...」色々な大和心があるはずです。
過去から現在、国内から国外へ幅広く大和心が発揮された
事例を通してあなたの大和心を語ってください。
再び、大和心を思い起こし日本の誇りを取り戻しましょう。
shishau2001/ 8/21 17:22 [ No.5 / 5402 ]
大和心、大和魂というと、短絡的に軍国主義とか天皇陛下万歳とか特攻隊とかと結び付ける輩がいると思いますが、そういう連中には隣人を愛する心とか親切心とか郷土を愛する心とかあるのだろうかといぶかしんでおります。
shishau2001/ 8/22 0:16 [ No.9 / 5402 ]
「名誉」「奉仕」「チームワーク」「礼儀」「徳」「信仰」といったものを大切にする活動なのですが、日本において年々メンバーが減っている、と聞いたのはすでに10年以上も前のことです。
thailandy32412001/ 8/22 1:49 [ No.1
大和魂、武士道、神風、侍、など連想する大和心。今後このトビの繁栄に期待します。
okinawa_rabit2001/ 8/22 9:59 [ No.12
トピ立ち上げた本人が言うのもなんですが、
「大和心」あるいは「大和魂」という言葉はいつ頃からどのような経緯で使われ始めたのでしょうか?
shin38che2001/ 8/22 11:39 [ No.16 / 5402
大和魂という言葉はどうやら、小生の知る限りでは、平安時代から使われるようになったようです。平安時代に大和魂は、日本古来の伝統的思想、そして行動などを大陸のものと区別する時に使われたといわれています。しかし、江戸時代の後期になると、国学が発達し、国学者、本居宣長が平安文学にみられるおんなごころと同じように解し、大陸にへつらう儒学者たち(今の外務省みたいですね)と対比させたそうです。また彼の、敷島の大和心を人問わば朝日ににほふやまさくら花という歌も有名です。平田篤胤などは大和魂を、尊王攘夷のような意味合いととっていたようです。大和魂が特に軍国主義者等に利用されるようになったのは、1930年代あたりといいます。もし小生の記述に間違いがあれば、ご教授頂ければ嬉しいと思います。あ、そして開トピおめでとうございます。こうゆうトピックがあると勉強になります。
shin38che2001/ 8/26 3:36 [ No.50 / 54
大和は 大いなる和
「和を以て貴しと成す」ではじまる十七条の憲法の訳文ですが
一条: 調和する事を貴い目標とし 道理に逆らわない事を主義としなさい 人には皆仲間がいるが 道理に通じてる人は少ない それで天使や父に従わない者があり たちまち隣里へ立ち去る しかし天使が調和して臣下の仲がよいと 事を議論するに調和する それで事の道理は自然にゆきわたる 何事もできないものはない
先の大戦は この大和心を部分的に忘れていた事と大和心が実を結ばなかった結果と思います。(個々の事例はトビずれを招きかねないのであえて省略しますが)
日本古来のものを見直すことは 我々の祖先の合理的物事の解決方法を学ぶということで これを洗い流すことにはならないと確信しています。
柳四郎
トピの始めと・終わりとを少し読みました5402ものコメントがありますので・・すでに僕と同じことを話された方がいるかとも思われますが・・僕の考えを少し書きます。
倭武の尊
倭(やまと) は國の麻本呂婆(まほろば)たたなずく青垣山隠れる倭しうるはし
聖徳大使
「和を以て貴しと成す」ではじまる十七条の憲法
本居 宣長
しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花
倭(やまと)・日本=やまと心・・・「和を以て貴しと成す」・・・日本の心「大和心」・・・
どうも皆さん混同してるように思えます。
聖徳大使
「和を以て貴しと成す」・・の和と・・・大和心の和・・は同じものでないと思いますよ。
倭=大和・・「和を以て貴しと成す」。とはならないでしょう。
「倭を以て貴しと成す」・・このように書くと・・意味が・・全く成り立ちません。
本居 宣長も
しきしまの大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花・・は書いていません。
しきしまの倭(やまと)心を人とはば朝日ににほふ山桜花・・・こちらが正解でしょう。
本居 宣長の鈴野屋問答などを少し読みましたが・
しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花
この歌にかかれたように・・人とはば・・誰も問うてくれる人がいないが!!是非聞いて欲し!!い!
ま〜平田胤篤・・佐久間像山・・なども自己顕示欲丸出し=劣等感の裏返し・・ですが。
一体大和心などという言葉自体・・国学者本居 宣長以降のように思えます。
頼山陽などは全く書き残していませんし。
佐久間像山・橋本佐内・横井小楠・勝海舟・・その他の幕末の思想家のものにはほとんど見えません。
となるとどうも明治以降の国家神道あたりで盛んに天皇を祭り上げる道具として使われた・こじつけ思想・国家神道のように見えます。
当然武士道と同じような・・明治以降の作り話かと思われます。
shin38che・・大和魂という言葉はどうやら、小生の知る限りでは、平安時代から使われるように・・・
柳四郎・・・どうも寡聞にして読んだ記憶がありません・・。
清少納言が・・・漢才は嫌われる・・と書いていますが・・和才・・と書いたものを読みません。
本居 宣長は唐心を盛んに使っていますがこれに対して大和魂・・も読んだ記憶がありません・・
大和心→大和魂→鬼畜英米・・このようにつながったのは・・真珠湾以来ではないかと思います。
僕は
倭(やまと) は國の麻本呂婆(まほろば)たたなずく青垣山隠れる倭しうるはし
このほうがよほど・・倭(やまと)心を言い表してるかと思います。
古事記・・日本書紀・・それぞれの風土記・・その他を読んでも国学者の自尊心顕示欲のような卑屈さは全く感じられません。
実におおらかで・・他と比較するような卑下感=劣等感はありません。
自己顕示欲・・優越感=劣等感の裏返しに過ぎません。
元来・・倭(やまと)の人は・・南や北の大陸や島々から流れ着いた人や文化を拒否せず受け入れて消化醗酵成熟してきた文化だと思います。
しかも始皇帝があこがれた蓬莱郷・・
山紫水明の豊葦原瑞穂の国と・・自賛していますが優越感(劣等感)など微塵も感じられません。
お天道様と米の飯は何処にでも付いてくる・・というほど。
満ち足りた国です・・
人を貶める必要もない・・
人のものを取る必要もない・・
飢え寒さのない国・・
豊かな国土に恵まれた・・
劣等感のない国・・優越感を必要とはしない国。
聖書に言う・・緑濃く蜜流れる地・・なのです。
しかし明治以降西洋の合理精神・文明に立ち向かうために・・無理して国学者の言うところの作り物の神道・大和心を振り回国家神道にしたように思えます。
橋本佐内・横井小楠・勝海舟の残したものに・・その杞憂が書かれています・・
大和心・国家神道そんな荒唐無稽なものを振り回すとひどい目にあうと・・・。
先達の明のとおり・・国家神道・大和魂・大和心を振り回して・・日本はひどい目にあいました・・2発の原爆の業火に焼かれて国家神道は終わりました。
同じように・・武士道が最近言われていますが・・
武士道の原点・・葉隠れなど読むと実に馬鹿馬鹿しいもので・・
書いた本人がこれは誰にも見せずに・・焼き捨てろ・・とまで言っています。
日の出の勢いの経済成長・・発展が終わり・・
日本中に閉塞感が漂っています・・・
心の支えとして・・・・大和心・大和魂・武士道などを持ち出されてるのだと思いますが・・
徳川300年の平和を支えた・・儒学のほうが・・僕には学ぶべきものが多いと思います。
平安時代にも・・漢才として嫌われ・・本居 宣長・平田篤胤が苦闘して作り上げた国学=大和心・武士道のほうが好まれるかもしれませんが・・荒唐無稽であることは同じことです。
本居 宣長・平田篤胤をお読みいただければ・・・実感されるかと思います。
葉隠れなどごく薄い本です・・是非お読みください。
中国でもこの10〜20年盛んに儒教を復活させてきています。
勝手な雑感ですが・・儒・佛を基本に・・優越感を持つ必要のない・・日本人のおおらかさこそ取り戻したいものです。
最近の鬼畜・・朝鮮・中国・露・米・韓・日・・このような偏狭な愛国主義者の・・・鬼畜教徒の氾濫に困惑しています。
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