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柳四郎
しかしそうなると話が出来なくなります・・・文字(漢字)が日本に入って以来すべては文字(漢字)で書き残されてきた。
yamazakura_bana
日本の文字には“かな”があります。
漢字も訓読みをしますし、かなでルビもふれる。
源氏物語が漢字で書かれておりますでしょうか。
かなでしょう。
柳四郎
漢字が入ると同時に・・和語は変化しています・・漢字を基に作られた多くの言葉があります・・・すでに和語での話は通用しません・・・意が通じません。
主人公・・光源氏・・名前がすでに・・ひかるげんじ・・漢字を離れては理解できません。
柳四郎
日本の豊かさにあると僕は考えます。
yamazakura_bana
私もそう思う。
私はそれに、感謝をするのです。
この国に生まれたことにね。
柳四郎
この国に生まれたことに感謝をす・・・これはいずこも同じ・・お国自慢の類でしかありません。
それを日本に限定することで・・狭量な愛国心が生まれます。
古事記を読んでこの国に生まれたことに感謝をするような言葉は何処にも読み取れません。
古事記には「狭量な愛国心」など微塵も感じられません・・・これこそ倭(やまと)心だと僕は思います・
砂漠で嘘をつくと・・人は死を意味します・・命をかけてうそを拒否します。
緑濃く蜜流れる地では・・嘘は唯の方便にすぎません・・・。
yamazakura_bana
だから日本では、砂漠の民の宗教が流行らないのでしょうね。
「方便」という言葉を、あなたのように使えるのも、豊かだからでしょう。
方便とは、仏の手法ですからね。
ただし、何もせずに生きられたはずもない。
豊かさを生かす知恵を、持っていたからでしょう。
私の仕事の、日本の独自性を見ると、つくづくそう思う。
柳四郎
砂漠の民の宗教が流行らな・・のではなくて・・必要としないと考えます。
羊飼いが草を求めてさまよう荒野・・手を入れなければ・・草ぼうぼうの自然に戻る・やまと・・この違いが道徳の違いでしょう。
方便・・和語では話せません・・サンスクリットですか?
彼岸・・和語では話せません・。
私の仕事の、日本の独自性・・どのようなお仕事かは知りませんが・・好奇心を感じます・・よろしければ・・お教えください。
ちなみの僕は機械の設計製作をしています・・僕のブログから・・僕の会社のHPに飛べます・・機械の全ては僕の設計です。
お互い判りあう必要などないのです・・・言語が曖昧模糊・・もの言わぬ人々・・何も問題ありません。
yamazakura_bana
言語が曖昧なはずがありません。
分かり合う必要がありますからね。
これもこのトピで、随分前にやりました。
言葉を文字にすると、曖昧になってしまうという気づきを、日本人は持っていた、
それを大和心というのだとね。
柳四郎
凄い発想ですね・・と同時に凄い誤謬を含むと思いますよ。
言語が曖昧模糊・・もの言わぬ人々・・この原因は・・潤湿な熱帯に住み水と緑に埋もれた衣食満ち足りた・・豊葦原瑞穂の国・・其のことごとを言語で決着をつける必要のない人々・・・変化の無い豊な日常・・言葉は言霊となり・・心を伝えることを主とする・・心を伝える・・曖昧模糊とした・・もののあわれ・・の世界。
厳しい戒律を持つ宗教が無く・・源氏物語のような心をこそ伝える・・世界にはありえない女流文学を生む風土。
ほの明かりに中の・・幽玄の世界での心の動きこそ美しいと感じる心・・・。
言葉で言い尽くすことの限界を知る人々こそ・・
言葉で分かり合うことの限界を知る人々こそ・・・やまとの人々の心だと僕は思います。
・・・・・・この余韻こそやまと心の本心です。
儒教・仏教・聖書・・これらの基本道徳に対峙すべき日本の心・・もののあわれ・・に置いた宣長は確かに古事記を読み解いた・・人物です。
yamazakura_bana
何度も言うようですが、私はもののあわれについて、書いたことがありません。
確かに宣長に「もののあわれ」があるから、「古事記伝」もあるとは言えるでしょう。
しかし、宣長のそれは源氏に帰するわけで、これは、我が娘に教えを請うことでもある。
恋の話でもありますから、気持ちの整理も必要ですしね(笑)
「恋せずは 人は心も無からまし 物のあわれも 是よりぞしる」ってね。
柳四郎
ですから・・・大和心ではなくて・・・やまとごころ・・「もののあわれ」だと僕は思うのです。
大和心・・宣長を読むととてもそのようには読めません・・儒教・仏教・聖書に対峙すべき日本の心を探しあぐねて・・もののあわれ・・に行き着いた・・僕にはそう見えます。
yamazakura_bana
それは、漢心に対してでしょう。
儒や仏教そのものに対してではない。
源氏により「もののあわれ」に気づき、物に「かむかう」ことを覚えたからこそ、古事記伝があるとは言えるかも知れませんね。
それを「あさひににほう山櫻花」と言ったのだと、私は考えております。
柳四郎
大変面白いですね・・僕もこんな話をするのは初めてです!!
実に面白い・・断りますが・・僕は全くの素人・・宣長評・源氏物語評・・全く読んだことがありません・・ただの機械屋の・・ただの本読み人です。
白石を出しましたが・・すでに西洋列強の世界制覇の波が刻々と日本にも感じられてきた時代です・・当然宣長もその波動を感じていたはずです・・漢才ではなく洋才に対峙すべき和才を必要と感じていたはずです。
宣長・平田その他の国学者の書を読むとこれを・・ひしひしと感じるのは僕だけではないはずです。
yamazakura_bana
先ほど送ったものは下書きです。
ですから、ご挨拶を忘れております。まことに失礼しました。
改めまして、こんばんは。
沢山のレスですので、疲れた頭で何処までお返事できるか、心許ないのですが、いつものように、夕飯前に頑張ってみましょう。
柳四郎
そうです・・お話です・・大和心と同じ・・お話の類です。
yamazakura_bana
あなたは、ご自分の書き込みを「お話し」だとおっしゃるから、それはそれでよいでしょう。
私は、お話になっていないと思いますけれどね。
それと大和心を、一所にしちゃぁいけません。
柳四郎
国学を荒唐無稽と切り捨てたのは横井小楠です。
yamazakura_bana
それが宣長に対する批判であれば、そんな物は生存中からあること。
それも、このトピでは既出のことであります。
論戦すれば良いことなのですね。
「すべてあらそひ也とて物を論ぜぬは、路を思ふ事のおろそかなる故也」であり「我も人もよきことをふと思ひうる物にし候へば、議論は益多く候事也」です。
上田秋成との論争は、このトピで早くから出ております。
「清めおく 道さまたげて難波人 あしかる物をとがめさらめや」というのも、ご紹介した覚えがあるな。
柳四郎
横井小楠は国学を荒唐無稽と切り捨てたのであって直接・・宣長をさしてはいませんが・・当然宣長をも含む国学です。
つれずれ草ですね・・も言わぬは腹ふくるりわざなれ。
yamazakura_bana
幕末には、それは様々な意見が出たことでしょうね。
横井小楠と坂本竜馬の最後は、公武合体を主張する小楠と、薩長連合を主張する竜馬の喧嘩で終わったらしい。
仲裁に動いたのが、勝海舟と松平春嶽でありましたが、結局は竜馬は殺され、二度と会うこともなく、小楠も殺された。
熊本にいらして、お確かめ下さい。
さすがの小楠も、蟄居中では情報が少なかったが為と、地元では同情しきりのはずです。
しかし、あなたの意見は拝読。
柳四郎
中央集権の富国強兵策をとる国家の盟主を誰が取るか・・幕府と薩長連合とで争ったのが戊辰戦争・・藩幕体制を捨てて中央集権国家設立ではどちらも意見は一致していた。
勝が幕府をきって捨てた・・大政奉還・・と同時に西郷も版籍奉還で島津を消しました。
そこへ行くまでに・・新国家の思想的柱を何にするかを相当論じている・・神道を柱とすべきとの論が相当有ったらしい・・横井がそれを否定している。
明治後期から・・大正昭和と
「神聖にして犯さざるべき天皇主権の権威」を信じた国民と政治家たちが
大和心・・大和魂・・大和民族の優秀さを説き・・他民族の劣悪さを説く・・鬼畜米英。
と突き進むのです。
yamazakura_bana
京都で遊びますと、おもしろいことが沢山ある。
天皇の神格化など、夢のごとしです。
しかし、戦前の一部の連中には、大和心がありませんでしたね。
大和魂も欠落している。
残念なことでありました。
柳四郎
御所を中心に穏やかな都です・・・とても皇国史観や国家神道(靖国)などのひと時の迷いなど受け付けることの無い・・自若とした都です・・しかし唐風です。
なら・・わがふるさと・・うりなら・・朝鮮語です・・そのたたずまいは唐風以前の・・やまと・・です。
40年前に大阪に来て・・ずいぶん奈良を歩きました・・・土塀の溶けた・・破れ塀から・・お寺が見えました・・・観光客などほとんど来ない・・・うらびれた・・たたずまい・・やまとの原風景のような・・勝手な想像・・・青によし・・ではありません・・泥の家々は・・
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