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竹島 尖閣諸島 問題について 傑作(0) 2006/4/25(火) 午前 1:06 | 政治問題 | アジア情勢 manny611gns この問題について 小生の知っている限りの歴史的な背景について 述べたいと思います 1 竹島問題 竹島の歴史 年代 512 干山国 鬱陵島 三国史記 930 芋陵島 高麗史 1004 干陵島 権記(日本の文献で最初にこの島の記述が登場する) 1018 干山国 高麗史 1032 羽陵城 ” 1141 鬱陵島 ” 1163 羽陵島 ” 1260 蔚陵島 ” 1346 芋陵島 ” 1379 武陵島 ” 1392 ” 太祖実録 1403 ” 太宗実録 1407 茂陵島 ” 1412 流山国 茂陵 ” 1416 武陵等ショ 以降 中国と高麗の文献に1696年まで 記述があります 朝鮮側の歴史書によると 1392年から1910年まで 李氏朝鮮は この島に渡航するを禁じた それは 国内的には 税金逃れを目的に島へ渡るものが後を絶たなかったこと そして対外的には 和寇による島民を守る為であった その為に無人島となった経緯がある 17世紀初頭 米子の海運業者 大谷甚吉が公開中に暴風に会って漂着 新島の発見と考えて 帰国後 同士の村川市兵衛とはかり 1616年に江戸幕府から 鬱陵島への渡航許可を受けてから 竹島と 呼ばれる この歴史的推移について韓国側は この事実に対して異論は出していない 1905年 明治政府は 竹島を島根県に編入し国際的にも日本の領土になった 問題はこの後である 日韓併合があって以降は問題なく日本の領土としての竹島が国際的に認められて いたのだが 第二次大戦で日本は敗戦 占領されて独立を失った 1951年 7月 李承晩大統領は 竹島を韓国の領土とする旨の 要求を提出する この時の韓国側の アメリカの対応について見解が 異なる 日本側は アメリカ大統領が その要求に対して 拒否したと判断 つまりは 日本の領土で ある事を 暗に認めたと解釈した しかし 李承晩大統領は 逆に その要求をアメリカが黙認した と解釈したのである 何故 そうなったのか それは アメリカが その要求に対し 確定的な言質 を与えなかった事がことの起こりである つまり 返事をしなかったのである そこで 李承晩は その返事が無いを自分なりに解釈し 1952年 李承晩ラインを設定し そこに竹島を編入した 当時の日本は占領下であった為に その行為について外交権を行使できず 1952年講和条約により 独立後 日本は海上保安庁が竹島を調査し 韓国人6名に対し退去命令を出した この時 政府は 領土標識を建てる 翼53年 海保の巡視艇が韓国の官憲から銃撃を受ける 54年 外務省の覚書 1954年 2月10日付 亜2第15号 この年の7月から勧告警備隊が常駐し現時に至る 近代になって 国際的にこの竹島を発見したのは つまり正式に海図に載せ他のは 1894年 フランスの捕鯨船 リアンクール号である 1900年 大韓帝国は兎用県を鬱陵島周辺の調査へ 同年6月に報告書を提出 この報告より 大韓帝国 勅令41号を発布している これが韓国側の 最新の領土であると言う根拠になっている 1904年 9月29日 中井養三郎らが 内務 外務 農商務に「りゃんこ島 (竹島)」領土編入並に貸下願を提出 翼5年 閣議で竹島と命名し 島根県 司の所管とする 以降 日本の領土として推移する事になる 国際法廷に互いに提訴して解決するのが 最も 正式な方法であるのだが 領土問題の提訴は双方が国際司法裁判所に提訴する事が規則にあり 日本は その方法を採択したが 実行支配を続ける韓国側は 拒否した 日本側はその拒否の理由を 国際法上日本の主張が 合理的に正しいから 裁判で負けるを予測して 拒否と看做している 韓国は 古文書まで遡れば 高麗による支配と言う歴史的な記述が有り 現実に日本に負けるはずは 無いと考えているのだが 国際法が歴史を何処まで遡って有効とするのかが読めない為に 公正な 裁判が望めないと言う一言でその理由を伝えている 李氏朝鮮が 竹島を実行支配下においていたのは 約500年以上に渡っており その以前には 僅かだが島民が住んでいた記録も有する しかしその後 島を税金逃れと 倭寇による被害の拡大で 島民を避難させて以降5世紀に渡り無人島にした この事が 直ぐに領土放棄と看做されるのか あるいは 以降 日本による実効支配の記録があるのかが問題だが 日本の正式な文書によると 17世紀の船乗りの記録しかない 後は1900年の大韓帝国の勅令を もって 韓国の主張とするか あるいは1905年明治政府の閣議決定を当時の列強が認めた事を もって 正式な領土問題の結論とするかに判断が分かれている また戦後 李承晩ラインを設定された 時に まだ独立前の日本が 韓国に対して外交上の抗議が出来なかったと言う外務省の弁論は詭弁で 現実に 北海道の割譲の問題や あるいは ソ連軍の駐屯について アメリカ政府を動かして 充分に 抗議と同様な手段を取っている つまり 優先的に根幹に渡る問題を 先に処理した為に その抗議が 遅れてしまいこの事が 実効支配を容認したと 韓国側に示す結果となった これが小生が言う 不作為の為の外交上の失策で その事を国民に伝えず 自分達の言い分だけを国民に伝えるのでは 国民の公平な判断が偏ってしまうのである 歴史書を簡単に年表を追うだけでも 竹島が この15世紀 の間 朝鮮半島の領土的な位置づけになっている事は理解できると思う 更に西暦500年代の 三国史に既に乗っているからも 歴史的には 朝鮮半島に属していた可能性を否定できない 日本が 領土として17世紀に徳川幕府がお墨付きを与えたと言う記述から以降のものばかりで 日本政府が 金科玉条の如くにその証拠として 上げるのは 1905年島根県に編入した事と それを当時 の植民地支配を当然としていた 列強国から認められたと言う事実だけで すると 植民地支配による アジアへの侵略を半ば力ずくでしていた 一部の国々の自慰的な舐めあいによる 認め合いで条約が 出来ており それをして 韓国に納得しろと言うのも おかしいと思う 領土問題は難しいが この様に歴史を確実に追いかけてみれば 一方的な主張の矛盾点が明らかになるものである 竹島の問題だけで長くなりました 済みません 近々尖閣諸島の問題も詳細に年表を挙げて その矛盾点を挙げて行きたいと思います 柳四郎 必要充分な資料よく調べられましたね。 これほどのものは始めて見ました。 これを 「不作為の為の外交上の失策で 」 とあなたは断罪されていますが・・役人政府のやるところの作為的な放棄ですね・・・放棄できないから何もしない・・・実質的に放棄しているということでしょう。 今までの日本政府のやる気の無さと符合します。 後はどうするか・・勝ち目の無い国際法廷で決着をつける・・最近の政府発言もそれに類すものです・・・国際法廷で負けたら従う・・と言うことは負けても良い 国民に言い訳が付く・・・と言うことですね。 韓国は国際法廷で負けるわけには行かないから法廷を認めない。 尖閣は僕もだいぶ読みましたが・・・とても勝ち目はありません・・・政府の主張はただただ・・・中国側提示資料の揚げ足取りに終始しています。 はじめから殆ど日本側の根拠を放棄しています。 |
竹島、尖閣諸島の領有権
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