自分史

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


東京都立上野高等学校   昭和32年卒業
当時は受験校として知られ東大入学ベスト10に入っていた受験高だった。
ほとんどを実名で書くがすでに社会に知られてる者だからかまわないだろう。


入学して隣に座ったのが山内弘史  ツバメコート社長。
ダイエイ中内功・そごう水島廣雄などの経営の神様の偶像が地に落ちて破綻した余波を受けて彼も会社を閉じた。

会社を閉じてまもなく酒を飲んだがこれほど山内の明るい笑顔見たことはなかった、すべてを捨てて会社経営の重圧から逃れた笑顔だ・・僕のように自分で始めた会社ならば僕の責任でどうにでもなるが、親からゆづられた会社は重たい。
拡大して当たり前・・・譲られた会社を拡大して力尽きた。

横山町の問屋街にあった彼の家でよくマージャンをした、メンバーが足りないと彼の親父が入ったことも有る、金縁のめがねをかけた小太りで色の白いゆったりした親父だった。
夕飯に実にうまい湯麺が出た、まかないのおばさんが作るという・・山内もうまいだろうと自慢していた。

会社を閉じ・・・柿の木坂の豪邸から出てマンションに移ったとき尚代は
「狭いのよこの家が」と笑った
「いいじゃあないか手を出せば手の届く人生は」と僕は冗談を言ったが。
山内尚代・・・山内の嫁さんは生駒尚代、同級生で同期の親友だ・・僕の頭では今でも生駒尚代でしかない。



青木純一郎  順天堂大学教授
上野高校野球(軟式)の部長で対外試合で部員が8名しかいないのでお前出てくれ・・・と1年のとき僕に頼んできた・・柔道部で運動してるから大丈夫だろうというやむおえず江北高校まで試合しに行ったが・・僕は球技が駄目だ・・試合に勝ったのか負けたのか記憶にないが。
運動生理学とか言う道で売れてるようでTVや新聞で何度か見た。
青木純一郎で今検索したらずいぶん本が出てきた。


川口義彦  社会保険労務士
入学時の自己紹介で実に愉快な話をして笑わせた・・厚い眼鏡をかけて秀才に見えたからみんなが級長に選んだがすぐに化けの皮がはがれて岡本に代わった。
僕が放校処分を受けそうになった原因のひとつが彼にあるのだが、今でも青春のすばらしい思い出のひとつだ。
数々の思い出とともに今日迄の親友だ。
演劇部の部長だが遊び仲間をほとんど勝手に演劇部員にして・・台本に僕など時代考証として書き込んでいた。
社会保険労務士の国家試験を制定して勝手な参入を防いだのはいいが自分の息子が受からないとぼやいていた。
川口義彦  社会保険労務士で検索するとたくさん出てくる。


岡本吉司  大蔵省
川口の次に級長になった・これは本物の秀才だった、確か現役で東大・大蔵と進み50歳ぐらいで国会で大蔵委員として答弁をして引退をして財団等を渡り鳥して・・週刊誌にだいぶ叩かれたらしいが読んでないので僕は知らない。
ある日新聞を読みながら夕飯を食べていたら、TVから聞いたことの有る声が聞こえたので見ると岡本が国会で答弁していた・・これには驚いた。
酒を飲んで話していたら
「困ったことがあったら電話して」と岡本が名刺をくれた「大蔵省国税局」とだけ書かれていた。
まもなく困ったことがおきて大蔵省に電話して「岡本吉司さん」とだけ話したらすぐに彼が出てきた・・助けてもらった。

証券会社に勤めている内沢昇が言うには・・ここで酒を飲んで気楽に話してるが業界ではとても岡本などに近づくこともできない・・とのことだった。  
岡本吉司で検索するとでてくる。


小川辰麿  歯科医
昼飯を食いに行こうと誘われて着いていったら谷中のおでんやだ、彼が飲もうと酒を注文して冷酒を飲んだ。
昼からの授業は英語だ・・小川は手を上げて質問してるが僕は心臓がドキドキ・・と隣の女子が「お酒臭い」と言う。
僕は黙って教室を出た、特に親友ともいえないのだが・・彼はがり勉で歯医者になったようだ・・谷中の歯医者の息子だった・・だったということはだいぶ前に鬼籍に入ったと聞いた。
仙台〜東北?で名の売れた歯科大の教授だったというが検索では出ない・・早死にしすぎたようだ。


平野琳人  絵描
僕の相棒だ・・このブログにもたくさん彼の絵を貼り付けてある。
検索したらたくさん出てきた、よく見ると淋人ではなく琳人だ、平野の親父が淋病の淋だ、といったのを真に受けて今まで淋だとばかり思っていた。
平野叡が本当なのだが絵描きになって変えたから僕はよく知らなかった。
それまではCMの作家をしていた、彼の家に泊まったとき電通の偉いのが明け方に来てその日の打ち合わせをしていた。ビールのコマーシャルで笑っていた男の人だという。
生駒尚代・佐藤水子・平野・僕とでよく新宿で遊んだものだ、仲の良いほのかな恋心を持った4人組だった。


佐藤水子は
最近行方不明だ幹事の鳥居さんにも判らないという、鳥居さんと水子と3人で京都を散策して大安の柴漬けを買って帰った頃は婦人服の店をやっていたようだが・・店を閉めてからは行方不明らしい。
2年ほど前に石山の墓参りのために平塚で乗り換えた、その車両の隅にミイコ(佐藤水子)にそっくりな人を見て驚愕した・・・しばらくミイコは石山にくっいて錦糸町の喫茶店で一緒にいたことがあるのだ、平塚の女性はふっくらとして皺のない30代に見えた・・ミイコがこんなに若いわけはない・・しかしそっくりだ・・よほど声をかけようかと思ったが絶対ミイコであるわけがないが・・・見た目には・・全くミイコなのだ電車は次の駅で止まるとミイコはホームへ降りてゆっくりと僕のほうへ歩いてきた全体に少し大柄だ。
いずれまたゆとりがでてきたら鳥居さんには連絡が来るだろう・・同期会に出てくるかもしれないから話を聞いてみるつもりだ。


鳥居一美
幹事の鳥居一美さんは石山が死んだころから同期会の幹事をしてくれている。
中学からの同期で付き合いは長い。
美人だから何度も口説かれたろうが結婚せずだ、京都に遊びに来て・・僕と奈良・京都を季節のいい時期にずいぶん歩いた、ほのかな恋を感じながら。
好いものだ、嫁さんはそれを感じ取り鳥居さんだけは拒否する、近藤の嫁さんや生駒・矢沢はうちに泊めても鳥居さんだけは駄目なのだ。


近藤英一 歌手
ブログに彼の終わったデナーショウのパンフレットが貼り付けたままだが。
彼は音楽部で文化祭に歌劇をやり、川口が演劇をやり、僕はバンドを組んでやはりステージに出て放校処分を受けそうになったときからの付き合いだが、それほどまともに付き合ったことはなかったが卒業後親友の一人になった。
近藤の嫁さん都は京都にひとりで遊びに来て予約せずに京都ホテルに泊まろうとして泊まれず困った、とTELをしてきた。家に泊まれというと喜んで泊まりに来て・・・次の舞台で歌う歌だから聴いてくれと、練習代わりに応接間で歌を聞かせてくれた。
近藤 都・近藤 英一 と同じ宇井さんの弟子ということだが僕はミヤちゃんの歌のほうが好きだ・・実にうまくて心と声量が有るが・・近藤英一 を立てるためにかほとんど歌わないらしい。
検索するといろいろショウででてくる。


吉田征雄  音楽家
もっとも若いうちから名前の売れた親友だが・・検索するとところどころで引っかかる。
ゴジラ?かなんか怪獣のTVの音楽をつつけて名が売れていた。

学校の秋の文化祭?なんといったのか覚えていないのだがいい加減なバンドを組んで・・6人で出て騒いだとき酒を飲んで司会をして大騒ぎになった・・で退学処分になりそうになったのだが・・今でも親友の一人だ。


石川嘉司僕の名前です検索しても出てきません、ブログ 柳 四郎 で検索するとたくさん出てきます。

後日書きます。
長谷川清一・花田茂・小林好晴・萩原靖久・森康・松沢耕太郎・内沢昇・矢沢みち子・

望月昭・小林一紀


開く トラックバック(1)


MOUG 2006/11/6(月) 午前 9:42
東京に来ていらしたんですか・・会いたかったですね^





柳四郎
鹿沼に仕事で行きました・・10年も前の機械がおかしいと・・色々やってどうも僕の機械に異常なし。

タクシーで鹿沼土は何処で?

どこを掘っても鹿沼土です・・・との事・・土の厚みがあるかないかだけだとのことでした。

大屋石で陥落・・あれは・・いい石が出るところは・・柱をぎりぎりまで取ってしまうから・・土地が陥落するとの事でした。

しかし鹿沼土が下に一面だと・・とても水田に出来ない・・ま〜関東クローム層はおかぼしか取れないけど。


サテ翌日久しぶりに同期会6時までの空きに他の友人と渋谷ハチ公前で待ち合わせ!!

一体ハチ公はどこへ行ったのか!!

ほとんど駅周辺は昔から歩いたことが無いので・・乗り換えの通過駅でよく通過したのですが。

ま〜道玄坂は記憶があるので歩いてみました奥に行くと同じようなラブホテル。


サテその前に代々木・原宿とすごい全国的な人気なので・・代々木で降りて歩いてみたのですが・・さっぱり判らない・・というよりこの駅に降りた記憶がない。

大通りに出ると・・車でよく走った記憶があるから大体の方向は判る。

で歩くうちに共産党本部に出た・・すごい建物だ・・大変な出世だ・・昔は薄汚れた黄色の??2階建て・・だったような・・あまり記憶に無いのだが。


しかし全国的な人気の代々木・原宿がどこにも無い!!

仕方が無いから・・原宿駅に出てみた・・確かお召し列車のホームがあったはずだが外からだとわからない・・地図があり見ると全く違う位置にホームがあった。

原宿駅前の細い通りに人が吸い込まれていく・・どうもにぎやからしい・・これか?

これがそうか!!・・狭い通りにぎっしりと・・小間物や衣装が・・靴が・・なにやら分けの判らない品々が・・これでもかと・・並んでいる・・外人が呼び込みをしている・・砕けた外人が観光・・買い物か?

高校生が太い生足を太ももまで出して闊歩している・・白い生足が・・日焼けの生足が・・目の・・やり場に困ることは無い・・ただ見るだけ!!

平日の午前・・修学旅行??

それにしても相当の人だ!!

通り抜けると終わり・・・

昼近いが・・飯屋が無い・・マック・・どうも手が出ない・・

だいぶ歩くと・・右手にカツ・・の看板・・地下へ降りると・・懐かしい飯屋だ。

工事現場の僕と同じ作業着の男が飯を食っている・・スーツのサラリーマンも・・カツどん・・そうか・・カツ重なのだ・・。


早飯を食べて・・それほどの早食いではないが・・狭い地下に人が入れ替わると・・どうしてもせかされる。

外に出ると・・工事中・・これほど工事しつくして・・未だ工事中だ!!・・地下鉄の駅に・・ビルの工事・・・勝手次第に工事を繰り返す・・誰も・・何の・・計画性もない・・勝手で・・無計画な都市が世界に有るだろうか?

参道だ・・昔車を止めて正月参拝した記憶と・・・何度も走った記憶と・・しかしまるで記憶が無い!!

見覚えが無いのだ・・育ちきったケヤキの大木だけが記憶の底にある。

そうか・・同人回(こんな字か?)のアパートがそのまま改築されたという話を聞いたが・・それなのだろうか?

何屋さんなのか・・まるで客を拒否している店が続く・・・何を売っているのか?

それすらも見せることを拒否した店が延々と・・

まるでモスクワのようだ!

反対側の2階でお茶でも飲んでるいのだろうか・・屋外で外人が二人椅子に座って・・通りを見ている・・ただのフラットな何も無い2階・・??
他に誰もいない・・喫茶店か??

いや店には見えない・・他に誰もいないただの黒いフラット。

歩きながら見続けて・・頭がおかしくなってきた・・異常な景色は・・理解できない景色は・・頭をおかしくする。

今思い出しても目はふらつく・・。


青山を抜けて・・そうだここに青学があったのだ・・車で走りぬけた記憶だけが・・道を覚えている。

国連大学・・初めてみる・・大きな建物・・学舎・・。


青学で思い出した・・子供のころ英語を習った叔母・・弟が何処かで青学の卒業名簿を見て叔母の名を捜してみたという・・卒業名簿のトップにあるという・・すでに亡き叔母の名が名簿の・・。

衰えて・・見舞いに・・来てくれるなと・・姿を見られてたく無いと・・・・だいぶ前に葬式に・・りんとわらった・・祭壇の・・叔母の顔を見て・・榊をささげた。

英語だけが最後まで不得意だった僕に・・そのときも・・叔母が笑っていた。

喧嘩

喧嘩

大変だ・・と安達が教室に駆け込んできた。

来てくれ・・石山が殴られている・・と叫んだ。

階段を飛ぶように駆け下りて安達の後のついて化学室に入ると・・・石山と菅野とが大きな実験台を挟んでにらみ合っている。

石山は鼻血を流して・・・蒼白・・肩で息を激しく吐き続けている・・・

菅野は今にも飛び掛らんばかりに・・やはり口をあけて・・息を激しく・・していた。

菅野やめろ〜!!

石山行け!!

と僕は叫んだ・・石山はすばやく教室を出た。

菅野もほっとして息を静めて・・すっと笑った。


後で聞くと当時菅野に殴られたのが数人居たと言う。

菅野はごつい体で柔道部にいたのでよく練習をしたが・・既に其の頃僕は殆ど柔道をしていなかった。

受験に巻き込まれて自分を失いかけていたのだろう・・妙に人を殴ることで逃げていたのかも。
「ハイフェッツのパガニーニを買った聴きに来い」

石山が言う。

それほどクラッシックに興味は無かった、デキシーかカントリーなら聞きたいのだが。

「向かいの家の子がやってるんだ・・見せてやる!」

石山がにやりと笑った。

えっ!!??

「そうだ自分で・・・・」



三ノ輪に向け自転車を走らせた、石山の書いてくれた地図を頼りに。

向いの子が・・断ることなど出来ない・・・。

石山の家はすぐわかった・・・医者の看板が出ていた・・・石山の親父は医者だった。

磨きこまれて光る板の間ので石山の父親と出会った・・・軽く挨拶すると・・・低い声であ〜〜と答えた。

「こっちだ」石山に言われるまま階段を上がると、畳みの間の床の間に赤い透明なカバーが乗ったプレーヤが置かれていた。

「こっちだ」と石山は窓の腰板に座って隣の家の2階を見た。

暮れ始めた町並みに隣の家の窓が。

「今日は居ね〜」と石山は笑った。

それで終わりだった。

石山は赤いカバーを取るとLPを大事そうに取り出して丁寧に埃をふき取り、静かにプレーヤーにかけた。

細心の注意を払いながら針をレコード盤の上に下ろした。

ハイフェッツのバイオリンが流れた。

立ち上がろうとすると。

「動くな」と石山が止めた。

「しょんべんだ」

「静かに歩け・・・針が飛ぶから」

階段を下りると奥の畳の部屋で石山のお袋が針仕事をしていた、其の横に立つ石山の親父が、

「始まったのか?」とおふくろに聞いた。


ほとんどくれかけた昭和通を走り抜けて上野へと出た。

鎌倉の海は悲しい

石山の墓を後に鎌倉の駅に戻った。

凄い人出である。
整備された観光地、みやげ物の商店街に観光客小中高校生、お決まりの人力車。
どうも鎌倉がこれほどの観光地であったとの記憶が無く・・ただただ驚く。

しかし駅のホームは昔と変わらぬたたずまい、ちぐはぐなうらぶれた駅舎のまま。

子供の頃何度この駅に降りただろろう、

真夏の焼け付く太陽に窓をいっぱい開けて横須賀線は走り鎌倉逗子そして江ノ島へと。

どの海岸もよしずばりの海の家が並び海はぎらぎらと輝き、

子供の僕を・・・輝く国へと連れて行ったくれた。

夢中で遊び泳いだ、疲れを知らぬ子供ころの、今でも忘れることの出来ない、遠い日々。


昔と変わらぬ江ノ電に揺られて由比ガ浜で降りた、浜へ続く小道に静かな人家のたたずまい。

青い海が見えると、激しく行き交う車の流れにさえぎられた。

戸惑いながらたたずむと、少し日焼けした白人が信号機のボタンを押した。

長い海岸線に平行して車道が材木座の先へと続いている。

青信号に変わり道を渡って葦ずにさえぎられた砂浜へと下りた。

一軒の海の家も無い遠く見通せる・・砂浜。

夏には昔のようにこの浜に葦ずばりの海の家が出現するのだろうか?

それにしてはまるで気配も無い・・・浜はごみで汚れ砂はぬれたように薄黒く

こどもの日のあの輝く砂浜の面影は無い

寄せる波だけが変わらぬ美しさを

鎌倉の海は悲しい

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
柳 四郎
柳 四郎
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事