自分史

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鎌倉の海に悲しみ

浅草で青春の残照を歌う

悲しく!残酷で楽しい!同期会

石山の墓が鎌倉にあると堀田が教えてくれた。

墓は山の頂近くの芝生の中にあった。


墓碑銘をを見る

万沙   44年2月10日   33歳

勝彦   45年12月18日  32歳

何も言えなかった、未だ32だ。
嫁さんが自死したのは知っていた,しかしこんなにすぐに彼が死んでいたとは。


初秋の明るい日差しの中に芝生が広がり遠くまでも見渡せる山の頂。

花を挿し線香を焚き、墓の前に座り込んだ。

笑顔の石山がはにかみながら・・

迎えてくれたような気がした・・・穏やかな懐かしさ・・言うことも無い。



両大師橋を降りて上野駅に向かうと伊藤の家がある、確かうらぶれた洋食屋だったと思うが其の頃はすでに自転車の一時預かり所に変わっていた。
家の前に伊藤が立ち自転車に乗った石山がいた。
「転校してきた石山だ」と伊藤が言った。

石山は笑顔で軽くあごを引いた。
未だ春の来ない明るい日差しはほかほかと皆を暖かく包んでいた。

福島から転校してきたと石山はいう。
「何で転校してきたの?」と聞くと。
「いやいろいろあって」と笑った。

同期会で話すと花田が
「違うよ俺と中学が同じだ」と言う、ほかにも石山と中学が同じだというのがいた。
福島から転校してきたというのは僕の聞き間違いだろうか?。


これが僕と石山との出会いだった。

時の流れは残酷です

忙しくて書き込みができません。

高校の同期会の知らせが来ました。
ここ数年は毎年参加することができず・・殆ど隔年となっています。

近藤英一のコンサートにもいけませんでした・・・相当盛会だったようですが。

近藤も既に40年以上歌い続けていますこの15年ほど・・・凄い歌を聞かせてくれています。

彼のCDを何度聞き込んだことか・・・何度聞いても・・・感動します。

それまでにもLPその他を彼は出していますが・・・それほど感動したことがありませんでしたがこの新しいCDで心が震えました。



平野淋の絵も何枚か持っていますがどうも感心しません、ただ最近の絵を見ていませんので評しょうもありませんが、いい絵をかいてくれることを期待します。
秋の展覧用の製作が忙しいと・・・少し目が・・・とはなしていました。



それにしても時の流れは残酷です・・・友も次々に傷ついていきます・・・67年の歳月は残酷です。


ツバメコートの山内弘史も現役を退いて未だ3年・・・・傷ついて入院とのこと・・・。
同期会には出るとのことが楽しみです。

川口義彦は社労士を45年・・・園遊会に呼ばれたとのこと・・・これは喜ばしいニュースです。
受勲は辞退したとのことですが。
受勲すると其の後が大変です400〜500人のパーテ4〜500万の費用でしょうか??。


友人2が受勲して僕もそのパーテーに出ましたが盛大なほど費用も大変だろうと思います。
費用など問題にしない友人もいましたが・・すべてがそうとはいえませんので。

川口が受勲を辞退したり理由はわかりませんので・・これは・・すべて勝手な推測です。
細君の衣装が大変だろうと勝手な推測もしています。


殆どの友人も既に退官退職して悠々自適ノ再出発を始めていますが・・・傷つき倒れたのも相当います。



35〜40(訂正32でした)のころだったと思いますが親友の石山勝彦が永代橋のたもとにトライアンプの白いスポーツカーを止めて消えました。

白いスポーツカーが3〜4日止まっているのを不審に思い警察が調べたら石山のものと判り・・・永代橋から飛び込んだとの推測。

人生に終止符を打った理由は本人にしかわかりませんが・・僕の起こした事件に係わり高校を転向していきました。

とても事件というほどのものではありませんが・・・僕の心には石山の人生に何らかの・・・と

高校卒業後も付き合つて来ましたが・・・その事件のことはお互いに・・ついに話さじまいでした・・どうも僕の心にそれが古傷るのです。

石山の墓が鎌倉にあると知り墓参してみるつもりです。




しばらく書き込みをしていませんが・・それでもお読みいただいてる方に・・・有難うございます・・・僕の考えが少しでもお判りいただけたら幸いです。

清澄寺での講習4日間。

講義を聴いてはテスト・・当時はやっていた新入社員教育だ。

学卒15人と高卒5人が同じ講義を受ける。

朝一番で体操とランニング・・昼は講義・・夕食後に清澄寺の坊さんの説教・・日蓮の話。

講習も終わりに近いころに・・Sが
「今年は偉く優秀な奴が一人入ってきたらしい・・と工場でうわさが飛んでるそうだ」と言う。
Sは親父さんがこの会社に勤めてると言う・・そのつてで入ってきたのだろう。
「それは誰か・・・」と言いながら私の顔を見て笑いながら「おまえだ・・って」・・といった。

「入社試験でTが1番で柳(私)が2番だって」とSは言う。

私が2番であるとは・・ずいぶんできの悪い受験の連中だと思ったが・・常識程度の試験・・どうでもいいことでもある。


4日間が終わって千葉本社工場の社長室で社長の話を受けた・・これと言う訓辞もなくただの雑談。

社長が緑茶を入れてくれた・・一口含んでどうもまずい・・
「これは・・・水が悪い・・」と私は言った。
社長は笑っていた。
これなどもずいぶん生意気な話だが・・後で考えると。
笑ってみている社長も・・出来ていると思う。

それに一口で水の悪さを指摘した僕の鋭さを・・社長は理解したはずだ。
そんなことをそのとき考えたわけではない・・イマだからそう分析できるだけだ。

清澄寺の水なら番茶もうまいのだが・・本社のお茶は駄目だった。

就職

就 職


「うちの会社もなめられたナー」
大声で吐き捨てるようにその人は言った。

「うちの会社を受けた理由は?」
と質問されて。
「どこも受けていません・・どこも受けさせてくれませので」
と私は答えた。



4年間の成績は酷いもので・・良が一つ後は全て可ばかりだった。
俺は藪の中・・蚊ばかりだ・・と冗談を言って見たが・・、
第二語学のロシア語など最後まで不可で卒業不可能だった・・。

4年間ロシア語を取り続け(落とし続け)たのだが・・何セ出席日数が足りず・・試験は駄目で・・通る筈もなかった。
同じ教養の体育も4年間補講を取り続けた・・これは何とか・・可をもらって進むことが出来たが。

ロシア語の最後の試験で不可が張り出されたとき・・卒業できない!!・・の恐怖が襲った。

友達に話すと
「一升瓶もって先生に頼みにいけよ」と言ってくれた。

とにかくわらをもすがる気持ちで・・先生に電話を掛けて・・
「これが取れないと・・卒業できないのです」と泣きついたら
「いや君は通ってるよ」と先生言う・・・??

4〜5日して掲示板を見たら不可が可になっていた。

卒業できたのだ!!!

卒業できない!!・・・この恐怖感はその後20年近く夢で見た。


就職求人の掲示板を見ても・・殆どが学校推薦を求めている。
とてもこの成績では学校推薦など貰える筈もない。
仕方がないから推薦不要の公務員・・アナウンサーなどを受けては見たが・・とても通るはずがない・・行政法をやったわけでもない。
アナウンサーは原稿を読まされたのだが・・一行読まずに終わった。

皆その気で勉強して受けに来ているのだろうが・・何の知識もない僕にいきなり原稿を読めと言われても・・とても駄目だ・・特に東京弁では・・私はこれを標準語と勘違いしていた・・考えたら東京弁は標準語とイントネーションが全く違い・・これはとても後で訂正できない・・。

警察官も受けた高卒者と同時受験だ・・中野の警察学校で受験したのだが・・背広姿で受けたら・・廊下ですれ違う警官が・・僕を見て・・直立して敬礼した・・上官と間違えたようだ・・学校も左翼系・・面接で試験官は実に妙な顔で質問してきた・・とても受かる見込みはなかった。

間違えられるのは・・・その後3年ほどして山口で2号線の下関へ向かって走っていたら・・トラック事故があり車をとめて見に行ったら・・現場検証中の私服らしき人に敬礼された・・時々こんな経験をするのだが・・軽く頭を下げておくことにしている・・・相手が誰と間違えたのか・・どうでもいいことだから・・軽く会釈しておく・・人家のない道で人も居ない・・・車の下を覗き込む大きなタイヤの下に土色の手が転がっていた。



といって就職に絶望することもないのだ。
バイト先の社長が
「どこか決まったの?」
と聞くから
「いや未だ・・」と答えると
「よかったら・・うちへ来ないか?」と誘ってくれた。

そこは印刷材料を売る商社で・・10〜12人のバイト学生(夜学)が配達して、4〜5人の学卒を営業として使う小さな会社なのだが。
僕は社長の車の運転手として殆ど2年近くそこでバイトをしていた。
夜学ならそれでいいのだが・・僕は昼の学生だから・・殆ど学校に行ってないと言うことになる。

時々その車で・・時間を見て・・学校に行くのだが・・車で乗り付ける学生など殆どいない時代で・・学校の玄関脇に僕の車と・・赤いカルマンギヤーだけが止まっていた。

社長は
「能有る鷹は爪を隠す・・とは君のことだ」
と僕を買ってくれていたが・・どうもこの小さな商社に入る気にはなれなかった。

高校の親友が
「どこか決まったのか?」
「いや未だだ」
「よかったらうちへ来ないか?」
と言ってくれた・・やはり僕を買ってくれていたが・・いずれ自分で仕事をしたかったので・・そうなると彼を裏切ることになる・・誘いに乗れなかった。
彼は・・既に・・当時そこそこに名の売れた会社の2代目になる男だった。



学校の掲示板にこの会社を見つけたとき・・これだ!と思った・・。
従兄弟が九州から出てきて数年前にこの会社に入っていた・・早速試験を受けることを話して頼んでおいたのだ。

既に1次募集は終わり・・2次募集だった。
試験はそれでも150人ほど受けたらしい。

面接でやはり左翼系といわれる大学のせいだろうか?
労働法に関しての質問がでた・・単位を取てないから答えようもない・・まーー取ていても答えられないが。

最後の質問が
「うちの会社を受けた理由は?」
なのだ・・嘘をつく必要もないから事実を言ったのだが・・推薦の必要のない試験は試験と考えていなかった。

「こいつは・・柳の従兄弟だそうだ」
とその人は言った・・頼んでおいた従兄弟がちゃんと話してくれていたのだ。


それにしても生意気な学生だと今になるとそう思う。
しかしどうも・・社会的権威とか地位とか・・あまり敬意を払う気はない・・いまでもそうだ。

この年になると殆どが後輩になる・・となるとどんな権威も地位も敬意を払う必要がなくなる。
元に戻ってしまったようだ。
あるいは初めから変わらなかったとも言える。

父は今まで見たことも無いほど太っていた。

朝鮮のコロ島とか言う島で戦闘も無く・・毎日訓練ばかりしていたとか・・。

戦争が終わってからはすることも無く・・軍事物資のたくわえがあるので・・缶詰や毛布などを島民と交換して・・殆ど食料にも困らずに太ったのだという。

上陸してきた米軍は・・・通信機が不十分なため・・父のところの通信機を借りにきたという。

父は電機大学を出ていたので・・通信兵をやっていたという。
変な父で・・電機と土木二つの大学を出ているのだ。

コロ島というところが・・どこか知らないが・・日本のすぐ近くなのだろう終戦と同時に日本に帰ってきたようだ。

先に帰っていた父は既に国鉄に職も得ていた。

勤務が上野の管理局で・・毎日上野駅で引揚者を見つけては・・何処から引き上げてきたかを尋ねていたという。

今朝・・チチハルからの引揚者がいたのであわてて・・母の実家に来たという。




何で俺の言うように・・日本に帰らなかったのだ・・と父は母に怒った。

葉書きで・・早く日本に帰るように・・父は書いてよこしたらしい。

兵隊になった父は当然日本のおかれた末期的状況を知り・・日本に早く家族を返したかったのだろう。

しかしはっきりとは書けないから・・それとなく書いたのだ。

母はすべてを片付けて帰ることなど・・簡単には出来ない・・また戦争がそれほど逼迫していることなどとても理解出来なかったのだ。

日本と違いチチハルは全く戦争の影響も無く・・静かだったのだから・・。




上野駅前の国鉄官舎での生活が始まった。

旅館をそのまま使った官舎で。

木造3階建て・・銅葺きの屋根・・大正時代の面影を残していた。


転入した・・桜ヶ丘小学校はいつの間にか下谷小学校と名前が変わり・・・その後の日本の発展とともに・・都会の人口の過疎化が進み・・・消えていった小学校だ。

1年生だったか・・2年生に転入したかは・・定かではないが。

時計の読み方が分からずに馬鹿にされたことを覚えている。

先生は出来ないと拳骨をくれた。

どうも体は大きい方で・・喧嘩してもいつも相手を押さえつけてしまった気がする。

まーそれほど喧嘩した記憶は無いのだが。

スケート靴に鋲を打ってはいていた・・たくさん鋲を打てあるので・・やたらすべるそんな記憶がある。



上野の地下道には浮浪者がたむろしていた。

酷い異臭がして息が出来ずに・・鼻をつまんで走り抜けた。

あるときその一人の浮浪者に・・親はいるのか?

と私は聞かれた。

お前も浮浪者に見えたのかね・・と母は笑った。


駅には親のいない子供たちが群れ・・・時々警察が来て子供狩をやった・・子供たちは小さな足で目いっぱい走って逃げた。

鐘のなる丘・・のドラマがラジオから流れていた。


アメ横に米軍の物資が流れ込み活気を呈していた・・タバコが化粧品がチョコレートが時計ライターがジヨニ赤に中古の軍服が。

眩いいばかりの綺麗な品物ののなかを・・復員軍人が軍装のまま行き交いごった返していた。

母に連れられて良く買い物に行った・・あるとき・・道端の大きななべでなにやら訳の分からないものの煮込みを一杯買って食べさせてくれた・・・ひと口食べて吐き出した・・あれはなんだったのか?
実にまずくて食べようも無いものだった・・母は笑って・・それを道端にあけた。

積み上げたリンゴや柿の美しい盛り上がりが輝いていた。




4年のときにクラス替えがあり・・5年になると今までの級長が転校してしまい・・私が選ばれた・・当時は一度選ばれると・・殆ど変わらない・・・級長のまま卒業したのだが。

どうも成績は一番に成った記憶は無く・・悪がきの大将に近かった。

あるとき職員室に立たされた・・・上履きに履き替えずに・・玄関を歩いた・・確かそんなことだったように思う。

許されて教室に戻ると・・担任の先生が怒った・・お前は級長だぞ!!・・と。

立たされた先生と担任はよく職員室で喧嘩をしていた・・犬猿の仲なのだ・・どうもその矛先を僕に向けられたような気がする。


上野公園に仲間とよく遊びに行った。

国立博物館の裏口の・・職員の通用門から入り・・表からは有料で入れないのだ。

広い芝生の中を走り回り・・・イチョウの大木の銀杏を拾い・・噴水のアメンボウが風に吹かれて流され・・あわてて水面を走る姿を見て喜び。

国立博物館の裏口のある道の・・突き当たりの快慶の仁王様の壊れかけた塀を乗り越えてお墓に入り込み・・手入れの悪い・・草蒸したジャングルで冒険をし・・墓守に追いかけられ。

不忍池の蓮の花を摘んで・・友達の病院に見舞い・・馬鹿だね!!

と母にしかられ。


生涯の友を得て・・卒業した。

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