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古墳好きの私には、特に蒲生薫平が名付けた前方後円墳、それが載っている記事には、黙っているわけには行かない。
それが今日の紙面に踊っていた。まず一面トップに大々的に、そして、30.31面に詳細を、これだけ大がかりな報道は昨今珍しい。
従来継体天皇の御陵は、大田茶臼山古墳とされてきたが、どうも今回調査された今城塚古墳であるらしい、との確証が得られたというのだ。
あの前方後円墳、古墳の中でも一段と輝き、優美で、ロマンを感じさせる姿。
それでいて、中に誰が葬られているのか、はっきり分かっているものは殆どない。
寿陵、つまり生きている間に築かれた古墳なら、ある程度分かるが、その文献がまたかなり怪しい。
はっきり分かっているのは、筑紫の磐井の、石人、石馬で有名な「岩井の古墳」くらいのものである。
このあやふやと云うのが、又好きな人の心をくすぐる。
何しろはっきり天皇陵、として定めたのは幕末である。押し寄せる外国の圧力をはねのけるのに、国内の意思統一を歴史の重みでやろうと思った節がある。
勤皇も佐幕もない、この國が危ういのだ。敵はすぐ目の前に迫っている。
神武天皇など何回引っ越しさせられたか、逆説的だが、盗掘にあって、あきらかになったケースも幾つもある。
天武、持統陵もその一つ、骨壺が放りだれて、中の物はみんなもって行かれたというものもある。
あの時代の科学力、むしろ文献想像力のみ、さすれば想像するだに心許ない。
古来からの文献、特に古墳の時代に残っている物など文物などありはしない。
古墳の姿、それこそが治世の道具、あの人を驚かす巨大さ、優美さ、それは即威厳につながる。
最大の説得力、物言わぬ形に込める為政者の思い、古代はこの様な世界だったのだろう。
古墳の形は数々あれど、日本にしか見られない、前方後円墳、まるで後世の私たちに、何かを語りかけるような優美な姿、どの様に受け止めれば良いのだろうか。
バックホウもブルトーザーもない時代、大坂の山から、箸墓まで人が数珠つなぎになって、手渡ししたと云われる工事の模様、この國にはそんな歴史があったのだ。
それにしても胸がわくわく踊る。古代は優雅な時が流れていたのだ。
もっともっと科学のメスを入れてほしい。出来るものなら、全てを調べて明らかにしてほしい。
この國の持つ文化の香りを臭わせてほしい。
その歴史がこの國を救うかも知れない、この國の方法で、自信を持って悪意を払拭してほしい。
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