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政治においても、秩序または安定を標榜する政党と進歩または革新を標榜する政党とが、政治生活の健
康な状態にとって共に必須の条件であるということは、〔今日では〕ほとんど取り立てていうまでもない
こととなっている。いずれか一方の政党が、その精神的理解力を拡大して秩序と進歩とを共に主張する政
党となり、保存すべきものと一掃すべきものとを熟知し弁別しうるようになるまでは、このことが必要で
ある。これら二つの考え方のいずれもが効用をもっている所以は、相手方に欠陥が存在しているためであ
るが、しかしまた、二つの考え方のいずれにも、理性を失わせず常軌を逸さないものは、主として相手方
の反対というものなのである。民主政治と貴族政治、財産と平等、協力と競争、奢侈と節欲、社会性と個
人性、自由と統制、その他実生活に関する一切の不断の対立に関して、それぞれの側に賛成する意見が、
同様の自由をもって表現せられ、同様の才能と精力とをもって強調せられ弁護せられないのならば、双方
の要素がその正当なる分け前を獲得しうる機会は存在しない。一方は必ず不当に利得し、他方は必ず不当
に損失することとなるのである。人生の重要な実際問題においては、真理とは、実に反対説を融和させ結
合させる問題だといってもよいのであるが、しかも知識の正確さを求めてそれに近寄りつつ反対説を調整
することができるほど包容力の大なる公平な心を備えた人物は極めて稀れであって、そこで、この調整は
、敵対的な旗幟の下に戦う戦士たちの闘争という手荒い方法によってなされねばならないのである。(ま
あ、反対説を調整し包容力の大きくて公平な心をもった仁徳者がいれば、政治闘争も少なくなって、それ
にこしたことがありませんが。霧山人注)
( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )
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