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今やわれわれは、四つの明白なる根拠に基づいて、意見の自由および意見を発表することの自由が、
人類の精神的幸福(人類の他の一切の幸福の基礎をなしているところの幸福)にとって必要なことを認識
した。以下、簡単にその四つの根拠を概括しよう。
第一に、或る意見に沈黙を強いるとしても、その意見は、万が一にも真理であるかも知れないのであ
る。このことを認めないのは、われわれ自身の絶対無謬性を仮定することである。
第二に、沈黙させられた意見が誤謬であるとしても、それは真理の一部分を包含しているかも知れない
し、通常は、包含していることがしばしばある。そして、いかなる問題についても、一般的または支配的
な意見が完全な真理であることは稀れであるが、絶無であるのであるから、真理の残りの部分の補充され
うる機会は、相反する意見の衝突することによってのみ与えられるのである。
第三に、一般に認められている意見が単に真理であるというに止まらず、完全なる真理であるという場
合においてすら、それに対して活発な真摯な抗議を提出することが許され、また実際に提出されるという
ことがないならば、その意見を受容する人々の大多数は、偏見を抱く仕方でそれを抱き、それの合理的根
拠を理解しまたは実感するということはほとんどないであろう。だがそれだけでなく、さらに第四に、そ
の教説そのもの意味が失われまたは弱められて、その意見が人の性格と行為とに与える生き生きとした影
響が抜き取られる、という懼れがあるであろう。すなわち、その教説は、単なる形式的な信条告白となり
、永久に功能を欠いて、ただいたずらに場所をふさぎ、理性または個人的経験から真実な心からの確信が
成長して来るのを妨げることになるのである。
( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )
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