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いずれの側に対する罵言に対しても、法律と官憲とがその抑止に手を出すべきではないことは明らかで
あると共に、世論は、あらゆる場合に、当然、その個々の事例の事情に応じて判決を下すべきである。す
なわち、論争のいずれの側に与しているかを問わず、その主張の仕方において公平を欠き、悪意、偏執、
または不寛容の感情があらわれているような人を、すべて非とせねばならない。ただし、或る人が或る問
題に関してわれわれ自身とは反対の側にくみしているとしても、彼のくみする側の如何によって、右にあ
げたような不道徳行為の存在を推論してはならない。また、反対者とその意見とをありのままに看取する
冷静さをもち、またそれをありのままに陳述する正直さをもっている人々、また、反対者に不利となるよ
うないかなる事実をも誇張せず、また反対者に有利となるような、または有利となると想像されるような
意見を抱いていようとも、当然の敬意を表せねばならないのである。これこそ公の論議に関する真の道徳
である。そして、この道徳はしばしば侵犯されるとはいえ、これを大いに遵守している多数の論客があり
、またそれを遵守しようとして良心的に努力しつつある、さらに多数の論客の存在していることは、私の
欣快とするところである。
( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )
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