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神話と歴史
もう長いこと、首をつっこんでいないけれど、古代には倭人文化圏というものがあっただろう。中国、朝鮮、列島の間に倭人と呼ばれる人々がすんでいた。日本はまだなかった。天皇という称号も8世紀以前にはさかのぼれなかったっけ…。昔に調べた資料を引っ張り出して、整理しなければならないけれど、いまだに仕事がいそがしくて、手をつけられない。朝鮮と倭国の関係はM県にいれば、近くて興味深い。イントネーションとか。天津神と国津神の分布を南九州の神社に重ねてみたりした。だが、だいたいのめどでやめてしまった。今の朝鮮とは、感覚が違うだろうけれど・・・。儒教の関係。まだ、頭にダウンロードできないので、触りだけということで・・・。
神話と歴史 続
また、雑談できまして、光栄です。ちょっと、あちらでは引き際がむずかしくって、まあ、助かりました。では、乱筆ですが、続きと感想を、大日本帝國はあれだけナショナリズムを誇張して、無条件降伏をしてしまいましたから、そのアイデェンティティであるはずの明治の精神によって、政治を行うことはできなくなりました。まあ、そのとき、そんな精神性があったかは謎ですが。しかし、明治政府の系譜は今の政権と地続きです。つまり、薩摩〈現在)と長州(次期候補)です。明治維新で廃藩置県や版籍奉還などをして、統一国家をつくろうとしましたが、やはり藩閥政治になり、他の出身藩士は不平たらたらでした。その不平が明治以降膨れに膨れて、結局政府は弾圧に乗り出すのです。宗教やら共産やら国粋やらさまざまにうごめいていました。あの大東亜戦争のときは、すでに正当な薩長政権ではありませんでした。薩長政権でないということは、どういうことか。つまり、米英と敵対するということです。日本に文明を取り入れることを推進した薩長はイギリスを利用して、統一日本を造ろうとしました。WASPとユダヤはイギリスで手を結び、アメリカに渡った。適当で単純な経路だけ記します。薩長はイギリスとの戦争に負けた藩です。長州の山形有朋が死んだ時点で、藩閥政治は終わったに等しい。大正デモクラシー。民主主義と天皇制の相違。横社会と縦社会は食い違います。日本は統一国家ではなく、ことなる方言を話す封建制であったことを忘れてはなりません。ここは、イラクと同じで、一気に近代化して、統一国民国家にしようと試みたのです。だから、明治はテロの頻発する時代でもありました。戦後の首相・吉田茂の経歴もおもしろい。麻生大臣のおじいさんです。別に、政治的意味合いはここにはありませんから、書きますけど、閨閥というやつがある。岸信介も調べてみるとおもろい。佐藤栄作と兄弟。政府と庶民の違いというやつはあるんだなあと思った。だから、日本は民主主義を自分たちの視線で作る必要がある。イラクどころではない。アメリカの民主主義もいかがかと思う。民主主義は私たちの人権やら市民権やら自分たちのためにあるはずだ。けっして、国家主義を語って押し付けてくるような類ではないのだ。我々の権利や人権は我々が保障されていると思わない限りは、あったもんじゃない。国民の名を語って、一部の代表の意見だけで決められてもこまる。国家の枠では大きすぎて、保護できない問題でもある。国家主義の網目は大きすぎる。だから、せめて、ネットで個人の意見を伝達することで、自分たちの主権は維持したいと思うのだ。民主化といって、同じ意見を浸透させようとするのは全体主義だ。地球統一とは無理だ。人間は睡眠をとらねばならないから。ガス田とか、その会社に勤めていないと関係ない。利権者だけの争いだ。そんなわけで、できるだけひっそりとくらせるように努力している。
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