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冬月は霧山の地に一人残された。夕子はフランスへと行ってしまった。どうして、あんなふうに夕子は逃げ出すように出て行ったのだろうか。為彦に連れて行かれた夕子に、冬月は戸惑いを見せていた。あれだけ、過去を引きずり、無駄な研究に熱を上げていたのが、まるで無意味に思えた。夕子がいなくなってしまった空虚感だけが、冬月に残されていた。冬月は夕子に騙されていたのだろうか。いや、何らかの理由があるはずだ。冬月の左手の火傷の一件からも、何らかの悪意が垣間見られていた。だが、その証拠をつかむことはできなかった。冬月は、悪意の正体を見破ることを止めてしまった。でも、現実社会においては、ガソリン価格の高騰やさまざまな物価の上昇が起きていた。しかし、庶民の賃金は一向に上がらなかった。急激なインフレは、消費を低迷させる。ピタリと、霧山地域の活動が沈静化したように見えた。
また、あの失われた十年が繰り返されるのだろうか。バブルが弾けて、またミニバブルが弾けて、弾けても弾けても、誰も気付くことはなかった。どうして、この社会には愛がないのだろうか。愛を求めては、人々は遠くに逃げていく。愛を得ようとして、愛を閉じ込める。何かを求めて、それが崩れ去る破滅の酒を酌み交わす哀れな生き物が人間なのか。誰も食い止めることの出来ないカオスの暗闇に、人々は抵抗できずに、このまま朽ち果ててしまうのだろうか。速すぎる暗闇の攻勢は、幾度となく、人々を追いやっていく。ただ、愛と誠だけが、幻想を紡ぎながら、人々を甘美な罠から救い出す。現実を見続けて、初めて勝機を見出すだろう。夕子は離れてしまった。愛し合う二人と信じあいながらも、無残に打ち砕かれる現実に、冬月は霧山人を継ぐ決意を固めた。
厚い雲に覆われてしまった霧山に、うっすらと霧が立ち込める。霧に希望を見出すことのできる人間はいない。青く澄み渡る大空を隠し、生き生きとした美しい緑をも翳らせる霧に、人々は惨憺たる思いを抱くだろう。しかし、人々は諦めなかった。人々は生き続けるだけだった。夢や希望を凌駕する現実の花を、この霧の晴れ間に造り上げようとする。為彦は旅立つとき、「ある企画がある」と言って去った。この言葉だけが、冬月の唯一の光であった。この惨憺たる霧山の静寂に、新しい息吹をもたらすのだろう。庶民の現実に与えられたのは、自給自足に近い生存環境であった。物価が上がって、節約して、必要な物だけしか買わない。そこに物品への審美眼が鍛えられる。本物を見抜く能力が芽生える。それは、生きる力であった。極限の状態に生まれる。人々は苦難に磨かれる。苦い愛の雫を、胸に抱えて、冬月は生きることにした。夕子の愛を信じている。
愛を引き裂くことによってのみ、愛の存在を確認しようと試みる。愛のない苦しみは、愛のない苦しみを持つ者にしかわからない。その狂気は、人々に危害を与える。さらに、愛を失うものが増える。愛のない苦しみは、愛の存在を知らしめる。この苦しみこそ、愛の証である。そして、その涙の歴史に、人類の罪と罰があった。なぜ、人々は戦い、壊し続けるのだろうか。冬月は、もう戦うことを止めてしまった。失うことの恐ろしさを知ったからだ。夕子のいなくなってしまった世界に、戦うことの空しさだけ犇いていた。この黒い霧を纏うだけの人生が無意味に思えた。古い霧の世界に意味を見出せずに、新しい霧を手探りで造り出す。夕子も為彦も去ってしまった。古い霧の歴史に争いがあった。争いこそ、災いだ。新しい霧の息吹に、光をもたらし、希望の虹を見出さねばならない。
動かない左手の指たちが、冬月を打ち砕いた。まさか、夕子が離れていくとは思いもしなかった。残酷な愛の結末にも思えた。ただ、夕子の愛を信じるしかない。もし、冬月が霧山人の名に値しない人物であったのならば、夕子にとって、冬月は霧山人というイメージだけの存在だったのだろうか。霧山人というブランドを愛していたのだろうか。何の価値もなくなってしまった冬月は、いずれ捨てられる運命にあった。愛はなかったのだ。いや、まだ愛が生まれない理由があった。恋のできなかった哀れな縁組に齎された悲劇だろう。フィアンセになっても、家庭を築くという心が生まれなかった。家庭に楽園を見出せないカップルたちだった。ともかく、離れてみなければ、愛はわからない。何のために、人々は連れ添い、家庭をつくるのか。今の現実が心地よいのだろう。自分の築き上げた空間を手放せない自由人の孤独がある。捨てられた…。捨てられた…。そういう疑惑を打ち消しながら、霧山人を継ぐしかなかった。
冬月は、なぜ夕子がフランス行きを選んだのかを考えた。霧山の現実に耐えられなかったからだ。そして、現実を造り出す希望を捨ててしまったからだ。未来を捨ててしまったのだ。冬月と夕子の未来を捨ててしまった。そして、何かをフランスで得て、冬月のところへと無事に帰ってくると信じたい。しかし、この霧山に何が足りないというのだろうか。空気も美味だし、水も美味い。静けさに包まれた雨音だけが安らぎを与えた。癒される環境があった。本物を確かめることもせず、どうして出て行く必要があるのか。青い鳥が飛んでいっても、冬月はこの霧山を愛した。だから、芸術のパリに負けない活動をこの霧山の地で行えると確信していた。冬月は、この孤独で人を寄せ付けない霧山を愛した。この気持ちは、夕子を想う気持ちと同じだ。確固としたふるさとを持たない冬月には、この霧の都が愛おしかった。雨が降るたびに、美しく霧を生み出す雫に心を打たれる。どうして、人々はこの美しさに気付かないのだろうか。何もいらないと思わせるような自然に包まれる至福がある。あじさいに夕子を求めた。
つづく
※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。
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霧島の静けさがこの小説を書かせただけだ。
2008/6/10(火) 午前 11:51 [ 蘇山人 ]
夕子は、本当はふつうの人生を望んでいたのだった。霧山人なんて、どうでもいいってね。バカだね、冬月は…。
2008/6/10(火) 午後 0:49 [ 蘇山人 ]