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環境問題は住んでいる場所によって違いがある。
環境を良くしようと活動してきたところは成果がでているだろうし、
そのまま環境の改善がされずに放置されているところもある。
有害物質の有無も微量成分ならば感知する装置が必要だし、
たくさんの環境測定の基地が必要となる。
つまり、吾輩の独断で環境問題の有無を局地的に判断することは出来ないのだ。
環境庁は、調査を怠り、利害関係だけで問題を扱うならば、真の問題解決の糸口をつかむことすらできない。教育機関であった大学が独立行政法人となり、さまざまな公益法人が国家を離れて跋扈している。さらに、経済産業省とのセクター争いがあるならば、純粋な意味での総合的な国土開発と環境の計画などは立てようもない。
今年の冬季の冷え込みも、異常気象によるものなのか、ここ数十年の環境改善の取り組みの結果がでたものなのか、正直わからないでいる。洞爺湖サミット以後の日本の気候の変異は、吾輩にはつかめていない部分が多いのだ。
薩摩の伊佐地方では、今秋、日照りが続いていたというように、地域によって被害がまちまちであるということもあるが、住んでいる土地土地の人々によって、その勤めている職業によって、環境問題に対しての意識はかなり異なっている。しかし、救いなのは、多くの人々の環境へ対する配慮が確実に、気候の変異を緩和するということがいえると思う。だから、環境への配慮は注意深くもちながら、今度は経済発展についての議論を進めてみる時期ではないかと思う。
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お金にならないことは「あとまわし」。
知りたくないものは「見ないことに」。
こうしたことのツケを後払いにしたのですね。
今日初めてお邪魔しましたが、霧山人さんがお書きになるこの古典のような時代、宗教が生活の中にあるときの道徳観を今こそ見直さなければ、また、何が正しく何が間違いかをはっきりと言わなければ、日本は手遅れになりますね。
2010/4/20(火) 午後 8:13 [ tutikon ]
tutikonさん、コメントありがとうございます。
お金にならないことの中に、日本を救う手立てが隠されているような気がしてなりません。
2010/4/20(火) 午後 8:18 [ 霧山人 ]
お金にならなかったこと・・いいことをすると、お金になる仕組みをつくるだけで、世の中が変わるのでしょうね。
2010/4/21(水) 午後 7:01 [ tutikon ]
霧山人さんご訪問ありがとう、私も同じこと感じます。お金の問題の後ろにあるもっと大切な問題に解決策を 考えるときかな〜って。有限物質の世界の後ろは、 無限の精神世界があるからね。
2010/4/24(土) 午前 7:26
サラさん、コメントありがとうございます。
お金がないと身動きできない社会は逆に自由がありませんね。
2010/4/26(月) 午後 1:50 [ 霧山人 ]