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今、『論語』と『道徳経』を紐解いている。孔子と老子である。
ついでに堯舜三代についても、著していこうと思う。
東洋社会とは、一言でいうと、田園村落の農耕生活である。それは、先の市町村合併で失われてしまっ
た。近代化が進められ、都市文明がアメリカの占領後、高度経済成長を通して振興したが、それによって
東洋社会の田園生活は崩壊した。そして、ダムの底に消えた。空き地になった。もう、東洋というものが
おぼろげなものとなり、その主流を失ってしまった。商業主義の跋扈は、図らずとも、農村社会の存続を
危うくして、消滅の危機にさらした。残された農村生活というものは、高齢者の年金で維持されている状
態である。そして、それももう長くは続くまい。そのように覚悟すると、合理的でないということで抹消
されてきた田園村落の農耕生活の曖昧さが懐かしくおもえて仕方がない。小中高の教育で、合理主義が教
え込まれるが、その合理主義によって形成された日本社会そのものが合理主義の経済という不況や赤字国
債の増発という負債によって行き詰まりつつある。果たして合理主義というものがこのように行き詰まっ
てきたら、それが絶対的な価値であったのかと疑問を呈してきたのだった。つまり、合理主義のような理
詰めの思考は破綻があるのだった。そこで、もう一度、何千年も続いてきた東洋社会の本質を洗い出そう
として、『論語』を開き、『道徳経』を開くのだった。仏教は経典も多いし、インドの出来事だから、触
れないとしても、永続してきたものの価値は大きいと思える。だから、東洋社会というものを再興すると
いう意味で今の試みが為されているのである。これは、戦前以前の日本人を考えるには重要な考察だと思
えるのだ。科学技術を軽視するわけではなく、科学技術は当然過ぎることであるから、敢えて触れないだ
けである。
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