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さる程に学問心ざし深く、ならびなく、みな心をかけぬ法師もなく、其名惣山に隠れなく、情の色もわ
りなきさま也。惣山のもてあそびのみならず、仏道の道たのもしく、其名天下にひろめ、道命阿闍梨と
て、世に隠れなくして、道命十八の年、内裏の八講をつとめ給ひし時、風吹きて局の御簾を、二三度吹き
上げて、年の程三十ばかりなる女房の、眉はこぼれてよしありて、論議聴聞して、思ひ入りたる風情にて
おはしけるを、道命ただ一目見しよりも、浅からぬ身にあこがれて、わが宿に帰り、山に上り給ひても、
見し人のおもかげ身にそひて忘れぬは、前世の宿業なり。
(『御伽草子』 和泉式部 より )
一目見て、懐かしく忘れがたい人がいるのは、一目惚れに勘違いするけれど、それはおそらくこのような前世の宿業がある人なのだろう。
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道命阿闍梨の話は、芥川龍之介の『道祖問答』がある。
2010/4/26(月) 午後 4:42 [ 霧山人 ]