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私のような碁好きな者にとっては日向はなつかしい国なのである。碁盤の最上のものはカヤの木でつくられる。カヤの大木というものは少いものだが、その産地が日向の小林の奥だ。また碁石の最良のものは日向蛤に那智黒と云って、白石が日向の蛤でつくられ、黒石が那智の黒石でつくられる。日向の日向市のあたり、伊勢ガ浜というところでこの白石がつくられているのである。大きな工場というものはなく、家庭工業で、大きな蛤を筒でくりぬく。自動車の窓からその作業の風景が見えたが、私にとっては懐しいものであった。
最良のカヤ盤と白石。神話の国には大そうピッタリした産物だが、もっとも神様や昔の天皇がそういうものを使っていたわけではない。正倉院御物でも見られるように昔は盤も石も鉱石宝石の類いであったらしい。しかし私が面白いと思うのはカヤ盤の発見はとにかくとして、白石を蛤でつくりだした誰かの独創である。こういう独創というものはラムネのタマを発明した人や、コンニャクをはじめて作ったり食ったりした人と同じくらいバカバカしくてなつかしいものだ。こういう独創的な大人物の名前などはいかなる本にもとどまるはずがないものだが、その独創は長く後世に生きのこり、恐らく数千数万年のイノチをもってなおつきることを知らないのかもしれないのだが、これがまことの文化というものなのだろう。
この蛤の碁石がいつか日向蛤というものに定着したのはどういう次第か知らないが、たぶん大きな蛤が日向に多いせいかもしれない。蛤というものは食物だ。厚さ四分五分という碁石がとれるような蛤ならよほど大きいに相違なく、貝殻を碁石にすれば当然その肉は食べなければならないわけで、私はその大蛤を食ってみたいと思っていたのだが、あいにくの下痢で諦めなければならなかった。
日向では土地の人が見せたがるものよりも忘れているものの方に心をひかれるものが多い。たとえば大蛤の場合にはその肉がどうなっているのだろう。うまい料理を発明して食わせる人がいないのかなぞということが大そう旅人の気懸りになるのである。神様の場合でもそうだ。土地の人が見せたがる神々よりも高千穂太郎なぞに心をひかれるのである。それというのも、土地の本当のイノチというものがその方に籠っているからに相違ない。
(『高千穂に冬雨ふれり』 坂口安吾 より )
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