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八 椎葉村は世間では奈須という方が通用する。例の『肥後国誌』などには常に日州奈須といって居る。村人は那須の与一が平家を五箇の山奥に追い詰めて後、子孫を遺して去った処だという。昔の地頭殿の家を始め千戸の七百は奈須氏であるが、今はすべて那須という字に書き改めて居る。しかしナスというのは先住民の残しておいた語で、かかる山地を言い現わすものであろう。野州の那須のほか、たしか備後の山中にも那須という地名がある。椎葉といい福良というも今はその意味はわからぬけれども、九州その他の諸国において似たる地形に与えられたる共通の名称である。奈須以外の名字には椎葉である黒木である甲斐である。松岡・尾前・中瀬・右田・山中・田原等である。なかんずく黒木と甲斐とは九州南部の名族で、阿蘇家の宿老甲斐氏の本拠も村の北隣なる高千穂庄であった。明治になって在名の禁が解かれてから、村民は各縁故をたどって、村の名家の名字のいずれかを択んだが、それ以前には名字を書く家は約三分の一で、これだけをサムライと称して別の階級としてあった。その余はこれを鎌サシという刀の代りに鎌を指す身分ということであろう。昔の面影はこのほかにも残って居る。家々の内の者すなわち下人は女をメロウといい男をばデエカンという。デエカンすなわち代官である。近代こそ御代官はよき身分であったが、その昔は主人を助けるいっさいの被管は大小となくすべて、代官であった。
(『後狩詞記』 柳田國男 より )
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