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十 椎葉山の狩の話を出版するについては、私はいささかも躊躇をしなかった。この慣習と作法とは山中のおおやけである。平地人が注意を払わぬのと交通の少ないために世に知られぬだけで、われわれはこの知識を種に平和なる山民に害を加えさえせずば、発表しても少しも構わぬのである。これに反して『狩之巻』一巻は伝書である。秘事である。百年の前までは天草下島の切支丹のごとく、暗夜に子孫の耳へ私語いて伝えたものである。もしこの秘書の大部分がすでに遵由の力を現世に失って、椎葉人のいわゆる片病木のごとくであることを想像せぬならば、私はとても山神の威武を犯してかかる大胆な決断をあえてせぬはずである。しかし畏るるには及ばぬ。『狩之巻』はもはや歴史になって居る。その証拠にはこの文書には判読のできぬ箇所がたくさんある。左側に――を引いた部分は、少なくも私には意味がわからぬ。それのみならず実のところ私はまだ山の神とはいかなる神であるのかを知らないのである。誰か読者の中にこれをよく説明して下さる人はないか。道の教えは知るのが始であると聞く。もし十分に山の神の貴さを会得したならば、あるいは大いに悔いて『狩之巻』を取り除くことがあるかも知れぬ。その折にはまた狩言葉の記事の方には能う限り多くの追加をしてみたいと思う。
明治四十二年二月一日
東京の市谷において
(『後狩詞記』 柳田國男 より )
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