平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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東洋自由新聞

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                      社説
 
 われわれがこの新聞を発行するのは、まさに、日本国三千五百万の兄弟とともに、向上の真理を探究して、国家にむくいようと欲するものである。つまり、普通の新聞に書かれている事件に先立って、順次われわれの見解を述べ、ひろくその可否を天下の君子に問おうとする。そのおもなものをあげておくと、つぎの数項目につきる。すなわち、自由の説、君民共治の説、地方分権の説、外交平和の説、そして教育、経済、法律、貿易、兵制である。
 もちろんこれは、一朝一夕で論じつくすことはできない。まさしく、日月をかけてはじめて、どうにか論じつくすことができるものである。
 いま、第一号を発刊するにあたり、まず、われわれの社名の「義」とするところの、「自由の説」をのべて、出発点としたい。
 
 自由の主旨には二種類ある。つまり、リベルテ・モラル〔すなわち、心神の自由〕と、リベルテ・ポリチック〔すなわち、行為(政治)の自由〕である。まずはじめに、自由の本来の意味を説いてから、二つの自由の区別におよぼう。
 「リベルテ」ということばは、訳すと「自主」、「自由」、「不羈独立」などという。しかし、その意義の深遠さにいたっては、こうした数個のことばで尽くしうるところではない。というのは、昔ローマにおいて、政権をもっている士君子、すなわち、いわゆる良家の人のことを、こう呼んでいたのであり、彼らは自分が天然にえた本性にしたがって、真を保つことのできるものだけが、自由の名に値すると考えたのである。その意味は、つまるところ、彼らの束縛や規制を受けている奴隷や捕虜のたぐいとは、区別しようと欲していたのである。
 第一のリベルテ・モラルとは、わが精神や思想が、けっして他のものの束縛をうけず、完全に発達しきって、あますところがないのをいうのである。古人がいったように、道義に合致した、いわゆる「浩然の一気」(『孟子』)がこれである。内をかえりみてもやましくなく、反省してもはずかしくないのがこれである。
 いいかえれば、天地に俯仰してはじることがないことであり、外にたいしては、政府や教門によって妨害されず、活発自在で、走りうるところは、どこまでも走り、自由に突進し、ますます進んですこしも撓まないものである。だから、「心思の自由」は、われわれが本来もっている基盤であり、第二項目の「行為の自由」からはじまって、その他すべて自由のたぐいは、みなここに基礎をもつのである。
 およそ、人生の行為、福祉、学芸は、みなここから出発している。つまり、われわれが今もっとも留意し、養いそだてるべきもの、これより尊いものはない。
 第二のリベルテ・ポリチックは、「行為の自由」であり、人びとがおのずからしようとするもの、また他人とともにするものは、みなこの中に入る。種類をあげよう。すなわち、「一身の自由」、「思想の自由」、「言論の自由」、「集会の自由」、「出版の自由」、「結社の自由」、「民事の自由」、「政治に参加する自由」である。
 心思の自由は、天地を通じ古今を通じて、すこしたりとも増減がないものである。しかし、文化や事物が発達しているかどうかと、人の賢愚によって、その範囲はたしかに少しの差異もないというわけにはゆかなかった。そして、行為の自由にいたっては、気候の寒熱や、土壌が豊かであるか否か、風俗の善悪などによって、差異はさらにはなはだしかった。ああ、心思の自由にしても、行為の自由にしても、どうして少しでも差があってよいだろうか。しかし、古から今におよぶまで、差異をなくすことができなかった。これこそ、われわれが、まさしく悲憤慷慨する理由であり、この新聞がつくられた理由である。
 自由というものは、草木にたとえれば、養分のようなものだ。だから、人の干渉にたより、人の束縛をうける人民は、温室育ての花や盆栽の木が、天性の香りや色を放ち、本来じゅうぶんの枝葉を繁茂発達させることができず、遠くからみればきれいなようだが、近くに行って見るときは、生気は全然なく、とても観賞に値しないようなものだ。それに反して、山花野草においてはまったく異なり、香りは馥郁として、その色はあおく深い。ひとひらの花びら、一枚の葉といえども、みなことごとく霊気に満ちて、いきいきしていないものはない。
 自由が人にとって尊ぶべきものであるのは、つまりこのようなものである。
 およそこの二つの自由は、現在、文明がもっとも発達していると自称する欧米諸国において、これを保持している程度も、はたしてどの層にまで至っているだろうか。さらに、その諸国の中で、どの国がもっとも程度が高く、どの国がもっとも程度が低いか。また、わが国をこれらの国とくらべるとき、そのどの国にあてはめうるだろうか。これこそ、われわれがまさしく毎号つづけて論述しようと欲するところである。古人はいった。「任重くして道遠し」(『曽子』)と。また彼はいった。「斃れてのち已む」と。われわれの使命も、またはなはだ重いではないか。「斃れてのち已む」の句にいたっては、もちろんわれわれの甘受するところとはいうものの、おそろしいのは、真理がついに得られなくなってしまうことである。
 切にたのみたいのは、世の博覧強記の君子が教えをおしまず、われわれの足りないところを補ってくださり、もって世に益することができれば幸いである。
                               (第一号、明治十四年三月十八日)
(『東洋自由新聞』 社説 中江兆民 より )

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