平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

日本の四季を大切にしよう。引越し先でも閲覧可。下の一言が入り口↓ 容量2GBを超えたので引越ししたよ。

小説・霧山幻想(リメイク中)

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 鵜戸神宮の社殿を後にする冬月と私は、鵜戸山八丁坂と呼ばれる、約800mもの石段をかえることにした。行きには気づかなかったが、石段はまっすぐと山の頂上まで続いており、その山頂には別当の墓地が広がっていた。別当とは、神宮寺の寺務を司る者で、ここにお寺があったことを意味していた。明治の廃仏毀釈のときに、廃寺にされたのだろう。それまでは、神仏習合とか言って、別段、厳密に神や仏を分けて信仰していたわけではなかった。神と仏を分けて祀ろうとし始めたのは、合理的な思考というものが西洋から入ってきたためだろう。鵜戸山では、両部神道という神仏習合した一大道場となっていて、「西の高野」とも呼ばれていた。
 このような信仰が可能であったのは、あの山幸彦・海幸彦の伝説があったからであろう。海幸彦は退けられてしまったが、山幸彦と海神の娘は仲がよかったので、沖縄のほうでは、オボツ・カグラ、ニナイ・カナイといい、奄美のほうではテルコ・ナルコと呼ばれる信仰になったのだろう。つまり、山の神・海の神を一緒に祀ったということである。もともと、八百万の神々という多神教的な世界観をもっていたくらいだから、山の神と海の神を同時に祀る事くらい造作もなかっただろう。そして、山の神の上に仏教がのっかってきた。そのような感覚で、海の人々は信仰していたのかもしれない。こういうことは、理屈が先ではなく、感覚的に察するしかないだろう。だいたい、日本人は感性の鋭い人種で、こういった時代に合理的に考える人は、ほとんど稀であったにちがいない。だから、神様と仏様を一緒にしたりする大胆さがあった。現代日本人には、ちょっと理解できないかもしれないが、それで神様と仏様が争うということがなくなったということは、量りがたい平和という恩恵であっただろう。物事が緻密すぎると、かえって争い事が生じてしまうという欠点がでてくる。それが、幕末・明治以降の戦乱に巻き込まれた歴史を生み出している。神と仏を分断するということは、それまで仲良くしている者共を引き裂いてしまったのだった。和を以て貴しと為すという聖徳太子の教えは、大和の思想につながっているのだ。
 我々は、次の目的地・飫肥の城下町に行くことにした。日南海岸を経て、飫肥に至ると、ほぼ日本の歴史の流れがわかってくる。神話の時代から、仏教伝来、そして武士の世の中である。冬月たちの乗ったタクシーは、油津を抜けて、飫肥の町にやってきた。油津は、小さな港町で、吾平津と呼ばれ、神武天皇の日向での妻・吾平津姫の生誕地として伝えられる場所である。神武天皇の実在は伏せられているが、おそらく大和と日向のある事件での確執が絡んでいると見られるが、これは時代の問題であるので、時代と相談して、進むべきであろう。吾平津姫は、ここでは乙姫とも呼ばれるから、神武天皇は浦島太郎だったのかな。
 
フィクションです。


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