|
熱力学第一法則から見ても、閉鎖系でない地球の温暖化は否定できない。地球の大気内に熱エネルギーが増加する傾向が改まらないからである。省エネルギーをしても、電力消費量が増加すれば、熱エネルギーの増加に代わりがないし、石油消費量を減らしても、結局天然ガスや原子力によって熱エネルギーを発生すれば、CO2を排出しなくても、結局熱エネルギーを排出するからだ。熱エネルギー放出系が産業や経済の原理として働いているからには、どのようにしても熱エネルギー保存の法則を脱せずに、地球温暖化は止まらないのではないかと思う。熱エネルギーを放出するということは、どうしてもアクセルを踏んでいることに代わりがない。熱エネルギーを放出しないためには、どうしてもブレーキを踏まざるを得ない。経済発展ということが、現代の科学文明によれば、熱エネルギーを放出することと同義であれば、経済発展すればするほど、地球温暖化は促進されることになる。極端な話、地球温暖化を防止するためには、何もしないことが最善であることは言うまでもない。そういう発想もある。しかし、人間の世界は奇妙なもので働かないと経済にならないという。では、熱エネルギーの放出を抑える経済活動はないのかといえば、そうでもない。それは植林活動である。森林がCO2を吸収して、光エネルギーを蓄え、炭水化物にすれば、大気の熱エネルギーはその分減少する。蓄電ということも、熱エネルギーを物質内に蓄えておくということだろう。エネルギー消費量という言葉に惑わされてはいけない。エネルギーとは消えてなくなってしまわないからである。必ず熱として大気に残っている。一部は宇宙に出て行くかもしれないが、温暖化傾向があるということは、大気内に熱エネルギーが残留しているということになる。物理学の言葉でいえば、マクロな地球温暖化のことをわかりづらくするだけである。もし地球温暖化を防止したいならば、産業革命以来の熱エネルギー放出系の経済成長をやめることである。そして、経済成長つまりお金の使い方を根本から改めるしかない。熱エネルギーをなるべくださないことにお金をつぎこみ、熱エネルギーを物質に閉じ込めることにお金をつぎこみ、できるだけ物質的熱力学的でない生活つまり精神的な生活を取り戻すべきなのかもしれない。結局、環境問題が心の問題によって解決するしかないということになってしまったのであった。これは、科学によってつくられた現代文明の制限であって、文明と野蛮という構図のほつれでもある。つまり、人類は科学だけからなる文明から自然と調和した文明への転換が迫られているのであって、田舎こそがその見本となるべきである。生命というものは、熱エネルギーが増大しすぎれば、生存ができなくなってしまう。これが生物多様性の問題と重なっていて、気候変動による絶滅危惧種の増加となっている。人間が経済活動というものは環境を破壊することだという心で捉えている限り、地球温暖化は改まらないし、生物の多様性というものも絶対に守れないのだと思う。経済活動つまりお金の使い方である。どういうお金の使い方が地球の滅亡を救うことにつながるのかを考慮しなければならない。それは、利益の問題ではなく、徳義の問題である。経済活動の常識が変らなければ、地球温暖化は解決されないのである。科学の熱力学の法則で考えれば考えるほど、科学的な技術体系による産業活動は否定されなければならなくなるという矛盾があり、そのことが既得権益と絡んで、ますます問題の先送りを続ける結果となってきた。しかし、雇用情勢や経済情勢を鑑みると、最早先送りは許されず、民主主義の国家にも関わらず、国民を苦しめる結果を生んでいる。本当に、21世紀はそういう世紀で終ってしまうのかと思うと、人類の叡智とは結局自分の首を絞めるための縄にすぎないのだといえよう。そして、宗教的な禁欲的生活のほうが、環境問題を解決するには十分な効果をもつのではないかとさえ思う。ゲネントロピー系の科学に期待するしかない。まあ、伝統的な生活の魅力も捨てがたい。
|
全体表示
[ リスト ]



