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ここにまた書を習いました結果の望みごととして、真の能書を期待いたしますのには、是非、一つ頭に入れてかからねばならぬことは、書が優美でなければならぬということであります。優美でなくては、良書の価値がないということであります。
これは従来余り書道会などの人々にはいわれておりませんが、従ってそういう審美眼を進めねばならぬとか、美術、工芸、書画骨董、建築、織物、陶器、漆芸、造園とか、そういうすべての美がわかるようにならなければいかぬという教育をしている書家を残念ながら知りませんが、ともかく、能書には美がなければならぬと思います。先刻申し上げたように、東郷さん(東郷平八郎)の書などは、見識はなるほどございますが、やはり武人でありますためか、また、その人の性格が然らしめますためか、美が欠けております。この美が欠けておるということは、書としてまことに惜しいことであります。
むかしから遺っております立派な能書には必ず備わっておるのでありまして、美のない書というものは決して上位には置かれない。名を成している書は必ず優美さがあるのであります。その点、中国人の書よりも日本人の書の方が、実に優美なものを多量に含有しております。それで日本人の書は非常に美わしく、親しみがあるので、結局、日本人にとって、日本の書が一番相応わしいものということになります。
(『魯山人書論』 北大路魯山人 平野雅章編 より )
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魯山人の書論
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