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しかし、私自身がこういっておりますと、字が書けそうに思われるかも分りませんが、私はいっておるだけであって、字は一向に書けないのであります。一体、世の中のことが分ったら、分ったように出来るかと申しますと、それはなかなか出来ぬのであります。分るということと、出来るということは全然別でありまして、分った如くに、すべてのことが出来れば、世の中というものは簡単でありますが、そうは問屋が卸しませぬ。従って書も分ったら、すぐにも書が書けるだろうと思っても、左様にはまいりませんのであります。
しかし、とにかく分るということが一番必要であります。何のことか分らないで、盲目的に筆先ばかりで書いておったのでは仕様がない。それではどうにもならないというようなことを考えつくしました結果、なんとかして段々に書というものを解体し、分らして行きたいと僭越ながら考えました次第でございます。
まず書道というものは、大体そういうようなものだと思っていただきたいと思います。
(昭和十年)
(『魯山人書論』 北大路魯山人 平野雅章編 より )
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魯山人の書論
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魯山人は、洋魂和才の人。
2010/10/16(土) 午後 0:09 [ 霧山人 ]
味の分る人に、どうしたらものを美味く食べさせることができるか。
それは少なくとも、自分に相手と同じだけの実力がなければ、不可能と言えよう。 「道は次第に狭し」(昭和十年)魯山人の言葉
こういうところが、『洋魂』という理由である。
血統主義(ダーウィニズム)とか、能力主義が入っている。
2010/10/27(水) 午後 3:06 [ 霧山人 ]