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宮本武蔵という人は、大層な人物であったらしい。
剣法に熟達しておったことは、もちろんの話だが、それのみならず、書画にも堪能であったとみえて、書いたものの中に神品ともいうべきものがたくさんある。この人は、仇があったので、初めは決して膝から両刀を離さなかったが、一旦豁然として大悟するところがあって、人間は、決して他人に殺されるものでない、という信念ができ、それからというものは、まるでこれまでの警戒を解いて、いつも丸腰でいたそうだ。
ところが或る時、武蔵が例のとおり無腰(まるごし)で、庭先の涼み台に腰をかけて、団扇(うちわ)であおぎながら、余念もなく夏の夜の景色にみとれていたのを、一人の弟子が、先生を試そうと思って、いきなり短刀を抜いて涼み台の上へ飛び上った。武蔵は「 アッ 」といってたちまち飛びのくと同時に、涼み台にしいてあった筵(むしろ)の端をつかまえて引っ張った。すると、そのはずみに、弟子は涼み台からまっさかさまに倒れ落ちたのを、見向きもせずに平然として、「 何をするか 」と一言いったばかりであったそうだ。
人間もこの極意に達したら、どんな場合に出会うても大丈夫なものさ。
(『氷川清話』 古今の人物論 勝海舟・言 吉本襄・編 より )
本当に強い人間は、武器すら持たないものだ。
戦争を鼓舞するような人間は、真先に戦場に赴かずに、他人を戦場に駆り立てるだけの弱虫であろう。戦争を鼓舞するような女・子供はたちが悪い。
それは、自分が戦場に行くことを前提としていないからだ。
そういう人物には、敬礼して、「 いってらっしゃいませ 」とのみ、
言うだけだ。
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勝海舟の氷川清話
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あなたはきっと武蔵のように天下無敵の人なんでしょうね?
2010/10/24(日) 午後 2:27 [ 柳生宗矩 ]
柳生さん、コメントありがとうございます。
敵をつくらないようにするという意味では、天下無敵でしょう。
2010/10/24(日) 午後 2:45 [ 霧山人 ]
あなたが敵をつくらないつもりでも、あなたを敵と思っている人間は沢山いるかも?
人の世とはそういうものでしょ?
自己欺瞞はいかんですなぁ..
十字架に架かる覚悟がなければ、「汝の敵を愛せよ」とは言えないものですよ..
2010/10/24(日) 午後 5:18 [ 柳生宗矩 ]
十字架にかかったのはイエス・キリストですね。
イエスは、我々の罪を背負って死んだのですね。
儒教や仏教は、聖人君子や仏になれというけれども、
キリスト教は、イエスになれとは言わない。
それは東洋的な耶蘇の捉え方でしょう。
武蔵は、敵をつくりすぎたから、逃げ回って、最後は細川藩に取り入れられて、やっと安心を得たのです。
敵をつくりすぎることは嫌なことだったのでしょう。
2010/10/24(日) 午後 5:24 [ 霧山人 ]
宮本武蔵でも、機関銃とミサイルですぐに死ぬ。
2010/11/8(月) 午後 5:10 [ 霧山人 ]