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子曰く、君子は和して同せず。小人は同して和せず。
(『論語』 子路第十三 より )
君子は人に接するのに互いに和らぎ親しむけれども、みだりに媚び親しんで合同することはない。
小人は媚び親しんで合同するけれども、私利を求め権勢を争うて互いに排斥するから、そむき戻ることなく和らぎ親しむことはなく敵をつくってしまう。
君子と小人とが接するのに和と同との別があることを述べたのである。
君子は他人を思いやるから、人が間違いをおこなっているときは同じになるようなことはなく、和平を大事にする。そのうちに、まちがった人でもあやまちを認め改めるような徳を有するので、別に媚びたりする必要もない。武力をもって正義を主張しなくても、君子ならばその徳を通じて相手は自然と改善するものである。
小人は悪に同意してしまうので、結果として敵対関係になって、相手を改善させることすらできなくなる。愚かなことである。
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悠塾の心得3
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いいですね。
その通りなんですけど・・・小人が多いから世の中上手くいかない。
2010/11/9(火) 午後 5:49 [ ななし ]
ジョルジュ早乙女さん、コメントありがとうございます。
徳が何かわからなくなっている上、スピード狂や利益優先で、君子になろうとする人々の反対のことをして、追いやって排撃すらしてしまう。孔子を失脚させた手段と同じ作戦で攻めてきますね。そういう場合、仁では弱くなるので、強さも兼ね合わせなければならないです。
利益で考えると、得るか失うかですから、数字は徳を奪いがちです。
人の心がわかる余裕すら与えない世の中ですね。
2010/11/9(火) 午後 6:00 [ 霧山人 ]
改善点も追加します。
仁を捨てて、強くなれば、ただの戦士になります。
神道でいう、荒魂から和魂の状態になるようにします。
君子というものは仏と同じで悟らねばなりません。
小人が悟りを得て、君子になると考えます。
そして、自己のためにだけではなく、利他のためにならなければ、君子はみとめられません。仁は人を愛するということです。
これはキリストの愛であってもかまいません。
こういうことがそろえば、徳と言ってもいいのではと思います。
2010/11/9(火) 午後 8:47 [ 霧山人 ]
結局は人の内なる問題であり、外からの働きかけでは何も変らない。
小さい頃は純粋を目標に育てられるけど世間を知り始めると知らぬ間に小人に育てられてる。
損得勘定で動く世の中で強かに生き抜きながらも徳の心を育てる事は
大変難しい。
人生が残り少なくなった時、全ての欲が空しい幻想に過ぎないと気付いた時くらいかなあ、それが解り出す時って。
皮肉なものですよね。
2010/11/10(水) 午前 7:19 [ ななし ]
ジョルジュ早乙女さん、コメントありがとうございます。
とても人生を通して、学ばさせていただいています。
来世というか、死後の地球や人類のことを考えれば、自分の人生の何かが誰かに伝わっていて、それで未来を良くしていくのだと昔の人は考えていたみたいですよ。
自分は無力ですけど、そう願っています。
2010/11/10(水) 午後 1:39 [ 霧山人 ]