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6300年前に気候最適期が終り、しだいに気候が冷涼・湿潤化(東日本)していくなかで、日本海側ではブナやスギの拡大がみられた。気候の冷涼・湿潤化のなかで、縄文人にとってはたいせつなドングリやクリのなる食糧の木が、打撃を受けたのである。
5700年前の気候の冷涼・湿潤化によって、沖積上部砂層の堆積が急速に進行した。それは縄文社会へ重大な影響を与えた。内湾の環境が沖積上部砂層の発達で大きく変わった。潮干帯が遠方に後退し、ハマグリなどがとれなくなった。この内湾の資源の変質が、縄文時代中期の人々を内陸の資源により結びつけ、内陸部の大地や丘陵に定住させるようになった。このように内湾の水産資源を失った縄文人は減少せざるを得なかった。
縄文文化は、縄文時代中期末にもう一つの大きな転換期を迎える。中部山岳の縄文時代中期の輝くばかりの文化は、縄文時代中期末に突然崩壊する。それは、とりわけ中部山岳地帯(長野県から東日本にかけて)を中心とする縄文時代中期文化の崩壊を引き起こした現象は、5700年前以降、悪化した気候条件が4200年前にさらに著しく悪化したこと、すなわち、現在よりも冷涼な気候になったことに起因する。
内陸部の堅果類(ドングリ・クルミ・クリの類)の集約的利用を生産の背景として、大発展を遂げた中部山岳の縄文時代中期の文化は、縄文時代中期後半には、最高の人口に達していた。しかし、縄文時代中期末に相当する4200年前のさらなる気候の冷涼・湿潤化のなかで、ドングリ類の不作がつづき、食糧危機に陥った。それはまた高い人口密度のゆえに、気候悪化による食糧資源の不足にも弱かった。高い人口圧のもとでは、気候変動によって引き起こされたわずかな不作によっても、食糧危機が引き起こされた。
中部山岳で縄文時代中期末のカタストロフィック(破局的)な崩壊を経験し、移住を余儀なくされた人々は、いったいどこへ行ったのであろうか。もちろん一部の人々は、飢えと寒さのなかで死亡したであろう。その後にあたる縄文時代後期には集落は中部山岳から関東の海岸部や西日本へと移動・分散したのである。
(『古代文明の興亡』より抜粋 安田喜憲著 )
これは東日本のことであるが、縄文人の生活は決して楽なものではなかったことを示している。縄文人は、人口の増加は見込めずに、辛抱した苦労の多い生活を余儀なくされていたのだ。そこに、天孫降臨(西日本でのことだが)によって、稲作が導入されたことは、安定した村社会を形成するうえで、非常に益があったにちがいない。縄文時代よりも弥生時代の方が比較的生活が改善されたことは、計画的に食糧を自給できるようになったことによるところが大きい。そして、そのような農村が見捨てられようとしている。日本近海の漁獲量は激減し、外国産の魚介類に頼らざるを得ない現状は耐え難い。海外の魚介類に頼るということは、海外の魚介類の減少を促していることも考慮しなければならない。
目先の利益に惑わされて、その天然資源を浪費すると、縄文人のように食糧危機に陥って、生存が危ぶまれるようになるので漁獲制限はきちんと守るようにしたほうがようだろう。乱獲はやめようではないか。農業のような計画性をもった食糧管理が望まれるだろう。
霧山人
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20世紀の例年並みの気候であるようだ。
太陽の調子が悪いのと火山の噴火や地震などでエネルギーが放出されて、地球自身も冷えたようだ。これは地球の自浄作用なのかはわからないが、地球が生きている証拠である。
2011/5/26(木) 午後 2:09 [ ECO暦5年 ]
太陽風の磁場と地球の磁場と文明の電磁場の微妙な関係が大震災と関係があるかもしれない?
2011/6/1(水) 午後 8:44 [ 霧山人 ]