平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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寺田寅彦の随筆

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物理学と感覚 3

 人間の肉眼が細かいものを判別しうる範囲はおおよそどれくらいかというとまず一ミリの数十分の一以上のものである、最強度な顕微鏡の力を借りてもその数千分の一以下に下げる事はできぬ(大正六年当時)(もっとも細かいものの見える見えぬはその物の光度と周囲の光度との差によりまた大きさよりはむしろ視角によるが)。そしてその物から来る光の波長が一ミリの二千分の一ないし三千分の一ぐらいの範囲内にあるのでなければもはや網膜に光の感じを起させる事ができない。波長がこの範囲にあってもその運ぶエネルギーが一定の限度以上でなければ感じる事ができない。なおやっかいな事にいわゆる光学的錯覚というものがある。周囲の状況で直線が曲がって見えたり、色が違って見えたりする。もう一つ立ち入って考えれば甲の感じる赤色と乙の感じる赤色とはどれだけ一致しているものか不確かである。
 音についても同様な限界がある、振動数二三十以下あるいは一二万以上の音波はもはや音として聞く事はできぬ。振幅が一定の限度以下でも同様である。また振動数の少しぐらい違った音の高低の区別は到底わからぬものである。
 触感によって温度や重量の判断をする場合にもいっそう不確かなものである。冷熱の感覚はその当人の状態にもよりまた温度以外にその物体の伝導度によるのである。寒暖計の示度によらないで冷温を言う場合にはその人によってまるでちがった判定を下す事になる。これでは普遍的の事実というものは成り立たぬ。また甲乙二物体の温度の差でも触覚で区別できる差は寒暖計で区別できる差よりははるかに大きい。次に物体の重量の感覚でも同様で、十匁のものと十一匁のものとの差はなかなかわかるものではない。
 このように外界の存在を認めその現象を直接に感ずるのは吾人の感官によるほかはないのにその感官がすこぶる粗雑なものであってしかも人々個々に一致せぬものである。それで各人が自分の感覚のみをたよって互いに矛盾した事を主張し合っている間は普遍的すなわちだれにも通用のできる事実は成り立たぬ、すなわち科学は成り立ち得ぬのである。
 それで物質界に関する普遍的な知識を成立させるには第一に吾人の直接の感覚すなわち主観的の標準をいったん放棄して自分以外の物質界自身に標準を移す必要がある。これが現代物理的科学にみなぎりわたっている非人間的自然観の根元である。
 
(『寺田寅彦随筆集』 第一巻 小宮豊隆編 より )
 
 肉眼においても、音感についても、触感についても、冷熱においても、人それぞれ感じ方が一定ではない。このことは、味についてもいえることであり、農作物の品質においても同じことである。どんなに権威ある人間でも、物事を決めつけることはできないのである。
 味というものを理解するには、それぞれの食する人間の心を見通す必要がある。だから、それぞればらばらであって、味を知ることは少ないのである。つまり、味というものを科学的に客観的に知るということは到底不可能に近いということである。味というものを主観的の標準を放棄して物質界自身に標準を移すといっても、その複雑な物質の種類の混ざり方・量的配分や人それぞれの思い出と絡み合った味に対する好悪なんかがあって、どうしても客観的ではなく、主観的にならざるを得ないのである。だから、お客の心つまり彼の主観をつかむことに心を用いる必要が出てくるのである。その思いやりの心がなければ、なかなか食べる人の心象を好くする事はできない。美味いといってもらえないのである。
 まあしかし、客観的なことを求めるとしたら、大多数が納得して美味いといえる料理をつくらざるを得ないのが商売としては有効なことである。商売にするのならば、いちいちお客の心を読み取って、料理をこしらえたならば、割が合わないし、お客の数をこなせないので、高額な価格にならざるを得ないだろう。会員制でなければ成立できないのである。
 だから、美味い料理というものは、お客さんの数によって判別するのがふつうである。そういうことが評判であって、一般的には美味い料理というものは大多数に好まれるものをいうことがよろしい。そういう大多数に好まれて、ロングセラーになるような料理をこしらえたならば、料理人の商売(生計)としては安泰なのであろう。それが非常に難しいことであることは吝かではない。努力して、大多数のお客に好まれる料理を発明するしかない。
 科学的なことから、商売気といった俗なことに話題が移ったが、万人をうならせる料理なんていうものは、高価で伝統的で珍しいもの・安くて大多数に好まれるものの二点が考えられる。値段にだまされることも多いが、安くてお客がついている料理というものは美味いにちがいない。そういうことも、人間の心理によって決定されてくる。不思議なものだ。しかし、雅な味と俗な味という意味ではまた事情が変わってくるから、そこにはそれぞれの人々の価値観が反映している。実に味の世界は奥深いものであるなと思うのだ。
 
                                      霧山人

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