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子曰く、富と貴とは是 人の欲する所なり。
其の道を以てせずして之を得れば処(を)らざるなり。
貧と賤とは是 人の悪(にく)む所なり。
其の道を以てせずして之を得れば去らざるなり。
君子 仁を去らば悪(いづく)にか名を成さん。
君子は終食の間も 仁に違ふことなし。
造次にも必ず是に於てし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於てす。
(『論語』 里仁第四 より )
富貴は人の欲するものであるが、富貴を得られるような善い事をしないでこれを得るならば、恥じて富貴の地位にいない。
貧賤は人の嫌うものであるが、貧賤を得るような悪いことをしないでこれを得るならば、貧賤の境遇に安んじて去らない。
君子が君子といわれるのは本心の仁の徳を失わないからである。
もし不義の富貴を貪り、自ら招かぬ貧賤を厭うようならば、すでに仁を失ってしまうから、どうして君子と名づけられよう。
君子は御飯を食べるくらいの僅かの間でも仁に違うことはない。急がしく事のさしせまって心の落付かぬ時でも、艱難に遭って流浪して身の安全でない時でも仁を忘れることはない。
君子が常に仁を離れないことを述べたのである。
不義なことをして富貴を得るのは「その道をもってせずしてこれを得る」のである。
奢侈怠惰のようなのは貧賤を招く道である。
不慮の災難などに遭って貧賤になるのは「その道をもってせずしてこれを得る」のである。
徳川吉宗は、「全徳 得難し。一失すれば一得す。」と言ったとか。
吉宗公ですら、全徳(仁)を得ることが難しいのに、我々がそれを得ることができようか。しかし、一回失敗すれば、一回得ることがあるということはうなずける。
転んでもただでは起きない。七転び八起きというやつだろう。
君子の心や仁を得ようと頑張る。それでも、そこになかなか到達できない。それは如何にも人間らしいではないか。だけども、そういう理想を追い求めることは、世の中や自分の生活を改善する方法を見つけ出す心の動機であるにちがいない。まず、そういう心の働きが最初になければ、世の中は私利私欲や学歴や資格や高給を取る事だけに一生懸命になって、本当に必要だけども、利益のなかなかでない事業を誰もしようとしなくなる。そういう現実になっている。君子の心や仁を得ようという志があって、初めて世の中をよくしようという気概が生れてくるのではないだろうか。
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悠塾の心得2
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