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山中ことに漂泊の生存が最も不可能に思われるのは火食の一点であります。一旦その便益を解していた者が、これを抛棄(ほうき)したということはありえぬように思われますがとにかくに孤独なる山人には火を利用した形跡なく、しかも山中には虫魚鳥小獣のほかに草木の実と若葉と根、または菌類(きのこるい)などが多く、生(なま)で食っていたという話はたくさんに伝えられます。木挽(こびき)・炭焼(すみやき)の小屋に尋ねてきて、黙って火にあたっていたという話もあれば、川蟹(かわがに)を持ってきて焼いて食ったなどとも伝えます。塩はどうするかという疑いのごときは疑いにはなりませぬ。平地の人のごとく多量に消費してはおられぬが、日本では山中に塩分を含む泉至って多く、また食物の中にも塩気の不足を補うべきものがある。また永年の習性でその需要は著しく制限することができました。吉野の奥で山に遁げこんだ平地人が、山小屋に塩を乞いにきた。一握みの塩を悦んで受けてこれだけあれば何年とかは大丈夫といった話が、『覊旅漫録(きりょまんろく)』かに見えておりました。
それから衣服でありますが、これも獣皮でも樹の皮でも、用は足りたろうと思うにかかわらず多くの山人は裸であったといわれております。恐らくは裸体であるために人が注意することになったのでしょうが、わが国の温度には古今の変は少なかろうと思うのに、国民の衣服の近世甚だしく厚くるしくなったのを考えますと、馴らせば無しにも起臥しえられてこの点はあまり顧慮しなかったものと見えます。不思議なことには山人の草鞋(わらじ)と称して、非常に大形のものを山中で見かけるという話がありますが、それは実用よりも何か第二の目的、すなわち南日本の或る海岸の村で、今でも大草履(おおぞうり)を魔除けとするごとく、彼ら独特の威嚇法(いかくほう)をもってなるべく平地人を廻避した手段であったかも知れませぬ。
(『山人考』 柳田國男 著 より )
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柳田國男の山人考
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