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悠塾の心得が少しでも理解できたならば、次の段階に進まねばなりません。
心得はあくまでも心得でありますから、それが現実に対してどうであるかを見極めねばなりません。
それが観なのです。
心の中での決心ができれば、現実を観る。つまり、観察するということです。
観察をすることなしに、現実を改善することはできない。
『易経』では、古代の聖王はあまねく四方を巡行し、民の風俗を観察し政教を設けたのである、とあります。
政教を設けるためには、観察しなければなりません。
『論語』という書物は、所詮、心を決めるところまでなのです。
観照という言葉があります。
よく見(考え)きわめて真理・真相を明らかにする。
主観をまじえず平静な心で深く見ること。
美を直接的に知覚認識すること。
明らかになるということは、次にどうすればよいのかが見えることでもあります。深く見るということは、未来が見えることを指しています。
仏の慧眼では、そこまで見通すことができます。
今回はここまでです。
霧山人
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書包・霧山幻墨
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霧山人さん
今年も宜しくお願い致します。
『主観をまじえず 平静な心で深く見る』とありますが、どうしても主観をまじえてしまいます。
又、人からよく男性の見る目がないと言われます。
結婚相手を見極めるにおいて、どのようなところを深く見る事が大切ですか?
是非とも教えて頂きたいです。
2011/1/4(火) 午後 3:51 [ 和 ]
和さん、コメントありがとうございます。
主観を消す。空。頭に浮かぶことは妄想だと知ること。
目で見るようになる。事実を確かめる。これが客観ということ。
生活においてあなたを助けてくれる男が結婚相手になります。
2011/1/4(火) 午後 5:09 [ 霧山人 ]
有難うございました。
霧山人さんのお言葉、大変勉強になります。
特に最後は心に響きました。
写経が良いと言われているのは、そのような意味からきているのでしょうね。
私も昔、写経を書いた(写した・なぞった)経験がありますが、常に何かを考えてしまい、意味がなかったです^^;
2011/1/4(火) 午後 6:09 [ 和 ]
パソコンで、わからない文章を打ち込むことも写経と同じかもしれないですね。
智の蔵の入り口があるのがわかる。入り口に入ることが難しいのですが、そこに入ってしまえば、勉強しなくても道がひらけてきます。霊感のような…。
知らないはずなのに、わかるようになります…。窮すれば通ず。
かなりの修行が必要です。修練ともいいます。
そういう感じがします。
2011/1/4(火) 午後 6:48 [ 霧山人 ]
易經の「風地觀」ですね。風地觀の前は地澤臨そして風地觀の後は火雷噬嗑です。臨はよく障礙や難事を排除する必要があり排除すると広く観察ができるがそこにまた邪魔者が現れ妨害してくる。これを退治するそれは能く咀嚼して身につけると言うことでしょうね。易とは無限の意味を有して尽きることが有りません。ポチ^^(チョット受け売り)
2011/1/4(火) 午後 9:08 [ f u k o ]
fukoさん、コメントありがとうございます。
易とは、まだ科学には及ばないものの、身近にある物事によって未来を表現しようとしたところに意義があります。まことの心にならなければ、易の占いは当たらぬも八卦になってしまいます。
科学が複雑系に入ったとき、西洋思想は行き詰りました。だから、単純明快な表現方法で、現実を捉えた方が益しだとなってきたのです。学問というものは、現実を抽象化(単純化・記号化)して伝えることが目的ですね。だから、易は万民に易しいのです。
2011/1/4(火) 午後 9:19 [ 霧山人 ]
こんばんは。。。
「明らかになるということは、次にどうすればよいのかが見えること」
そうなのですね。
胸のつかえがスッと取れたような気がしています。
ありがとうございますm(__)m
2011/1/5(水) 午前 0:02
梨木平の桜さん、コメントありがとうございます。
シレーっと、ヒントが含まれているみたいですね。
お役にたててよかったです、
2011/1/5(水) 午後 2:04 [ 霧山人 ]
内観を日々しています!
自分の声を自分で訊いて自分の思いを見つめる!
内観^−^
感謝^−^
2011/1/7(金) 午後 9:15
旅の料理人さん、いらっしゃいませ。
いろいろとやりたいことがあると、毎日毎日心の声が違っていて困ってしまいます。しかし、それぞれで前に進みつつあるということがわかります。まるで、国語算数理科社会をやりながら、それぞれを学習していくという感覚ですね。
内観の次もありますよ。
2011/1/8(土) 午前 9:54 [ 霧山人 ]