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経験を重視すること。実際に試してみること。
観を得ることができたら、験に向かう。
実行に移して得られた成果を験という。
僉の部分は、多くの人が同一の真実を発言するの意味であるから、客観的事実を表す。
験は、吾国では、仏道修行や祈祷の効果の意味もある。
それが科学で、実験とか試験とかいう意味にも使われるようになった。
神道・仏教・儒教では観止まりである。
文明開化で得られたことは、この験なのである。
実際の効果・効能があるのは、科学的実験から得られたマニュアルである。
誰でも説明書を読めばわかるということが科学である。
しかし、実行に移すことが大事なのである。
実行に移しても、成功するか失敗するかはわからない。
なぜなら、そこ観で得られた良知と熟練した技術が伴わなければならないのだ。
良知は他人から学ぶことができるが、技術は自分で身につけるしかない。
これが20世紀の不幸である。21世紀の困難である。
成功したら、験を修めたということがいえるだろう。
霧山人
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書包・霧山幻墨
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しかし、験を求める人間が多くなると、生存競争が厳しくなるので、観でも生きれる世の中がよい。観念でも生きれるようにする必要もあったのかもしれない。観察が行き過ぎると、かえって生き難い世の中になる。
2011/1/8(土) 午後 4:54 [ 霧山人 ]
修験道においては、験とは不老長生であろう。
不老長生を求める人が多すぎると、今度は子孫が増えない…。
2011/1/9(日) 午前 9:34 [ 霧山人 ]
修験道の験は、鎮火であったようだ。
新萌岳になりました。
2011/2/6(日) 午前 8:20 [ ECO暦5年 ]
恥ずかしことをこの辺りでは、験無い(ゲンねー)という。
修験者が霊験もないのに、ある振りをするから恥ずかしいという。
2011/2/6(日) 午前 9:16 [ 霧山人 ]