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子貢曰く、「我、人の諸を我に加ふるを欲せざるや、吾も亦諸を人に加ふること無きを欲す。」
子曰く、「賜や、爾の及ぶ所に非ず。」
(『論語』 公冶長第五 より )
子貢が自らその志す所を述べて言うには、「自分が他人からされることを好まないような事柄は、自分もまた他人にしないようにしたいと思います。」
孔子がこれを聞いて言われるには、「賜(子貢の名)、これはまだ汝に出来ることではない。」
子貢の志す所は恕(じょ)である。『論語』の衛霊公篇に子貢が「一言にして以て終身之を行ふべき者あるか」と孔子に問うた時、孔子が「其れ恕か、己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と言われたのを見ると、恕という徳は子貢の行い難いものであったとみえる。
孔子の思いやりの言葉である。自分が他人からされることを好まない事柄ということは、自分がそのような嫌な事柄に遭遇したことがなければ、容易にわかることではない。子貢は、タフな人間ではなく、口達者な人間だったので、賢く、苦難に遭うことが滅多にないタイプの人間であろう。だから、人の痛みもわからないし、自分が他人からされると嫌なことなんかがわかるはずがない。だから、わざわざ苦難を経験させて酷使させることを避けさせ、さらに子貢の身の程を判らせるために言った言葉であろう。『論語』は、世の辛酸を嘗めた人たちに愛読される書物なので、子貢のような、経験ではなく、頭だけの知識の人間には、仁とか、恕とかわからないことであるということを教え戒めたのである。だから、苦労をあまりして欲しくないという心もあり、逆に苦労を知らなければ人の痛みはわからないということが交じり合ったような複雑なことになってくる。もし顔回が生きていれば、ガンジーのような人物になったであろう。
霧山人
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悠塾の心得5
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子供に苦労をさせたくないのは誰もが持つ親心。
なんだが、苦労をしていない奴を見ると子供でも
その振る舞いに腹が立つこともある。
だから親はいつ子供と離れても子供が生きて行けるように
見守るのが本当の子育てなんだと思います。
2011/1/26(水) 午前 9:21 [ 山ちゃんの家庭菜園 ]
厳しい親父がいなくなって、弱い日本になったという嘆きがありますね。
弱いから借金に依存する。これは子供のためにはならない。
2011/1/26(水) 午後 1:14 [ 霧山人 ]
苦労をしたことのある人間では、人間の耐えられる嫌なことは、自分のして欲しくないことには含まれない。耐えられるような嫌なことだけど、必要なことはやらせる。
苦労をしたことのない人間では、苦労がわからないから、人間の耐えられる耐えられないは関係なくて、嫌なことはしないしさせないから、過保護になる。加減がわからないから、修行をさせたら死んでしまったりもする。
だから、子貢には爾の及ぶ所に非ずと言うのだ。
2011/1/26(水) 午後 3:21 [ 霧山人 ]
どこかの過保護な政治家に教えてあげたい様な(笑)
でも、新人議員までもが気付かないとは、政界の毒で麻痺状態?
2011/1/27(木) 午後 4:43 [ 山ちゃんの家庭菜園 ]
こんにちは。
政治の重要課題は、お金をどうするかということだ。
本来の政治手法には存在しない問題だ。
困ったことだ。
2011/1/27(木) 午後 4:48 [ 霧山人 ]