平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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キリスト教道徳

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 キリスト教道徳という言葉が何を指すものであるかを定めておくことが望ましいであろう。もしもそれ

が新約聖書の道徳を意味するとすれば、いやしくも新約聖書そのものを自ら読んでその道徳についての知

識をもっている人であるならば、新約の道徳が完全な道徳説として公言せられたものであるとか、あるい

は、完全な道徳説であろうとする意図をもったものであるとか、と憶測するようなことができるかどうか

いぶかしく思う。福音書は常に、在来の或る道徳に言及しており、その道徳がより広汎なより高次な道徳

によって訂正せられたり、あるいは置き換えられねばならなかった詳細の点についてのみ、自己の教訓を

かぎっているのである。それのみならず、福音書は、極めて概括的な語句をもって表現せられていて、字

義どおりに解釈し得ないことが多く、立法のような正確さよりもむしろ詩歌または雄弁のもつ印象強さを

もっているのである。倫理説の一体系を福音書から抽き出すことは、旧約聖書の内容を以て補足しない限

りは到底不可能だった。しかもその旧約聖書たるや、いかにも精巧な体系ではあるが、多くに点において

、野蛮であり、また野蛮な一国民のみを目標として書かれたものなのである。聖パウロがキリスト教徒た

ちに与えた忠言は、著しくギリシャ、ローマの道徳と順応した体系であって、明らかに奴隷制度を是認す

るに至っているほどである。普通にキリスト教道徳と称せられているもの――むしろ神学的道徳と呼ばる

るべきもの――は、キリストまたは使徒たちの作り出したものではなくて、その起源ははるか後年に属し

、初期五世紀の間のカトリック教会によって徐々に築きあげられたものなのである。そして近代人と新教

徒とは、これを盲目的に採用したわけではないが、彼らの行った修正は人々の予想するところよりもはる

かにすくないものであった。(東洋の場合、儒教道徳は体系化されすぎていて、その形式が強調されすぎ

たため、堅苦しい社会になっていった。仏教道徳においても、似たようなものである。西洋の場合は、上

記のように、そこまで堅苦しいものではなく、詩歌のような柔軟さをもっていたため、自由思想が伸びて

くる余地があったのであろう。キリスト教道徳も遠く見て儒教道徳の言葉で当てはめる事も可能だろう。

霧山人注)

 人類の道徳的甦生をもたらすためには、単にキリスト教のみを基礎として展開せられうるような倫理と

は別の倫理(たとえば儒教道徳)が、キリスト教倫理と相並んで存在しなくてはならない。また、キリス

ト教の体系は、人間精神の不完全な状態においては真理にとっての利益のために意見の多様性を必要とす

る、という規則に対して、何らの例外をもなすものではないと私は信ずる。

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著より )

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 政治においても、秩序または安定を標榜する政党と進歩または革新を標榜する政党とが、政治生活の健

康な状態にとって共に必須の条件であるということは、〔今日では〕ほとんど取り立てていうまでもない

こととなっている。いずれか一方の政党が、その精神的理解力を拡大して秩序と進歩とを共に主張する政

党となり、保存すべきものと一掃すべきものとを熟知し弁別しうるようになるまでは、このことが必要で

ある。これら二つの考え方のいずれもが効用をもっている所以は、相手方に欠陥が存在しているためであ

るが、しかしまた、二つの考え方のいずれにも、理性を失わせず常軌を逸さないものは、主として相手方

の反対というものなのである。民主政治と貴族政治、財産と平等、協力と競争、奢侈と節欲、社会性と個

人性、自由と統制、その他実生活に関する一切の不断の対立に関して、それぞれの側に賛成する意見が、

同様の自由をもって表現せられ、同様の才能と精力とをもって強調せられ弁護せられないのならば、双方

の要素がその正当なる分け前を獲得しうる機会は存在しない。一方は必ず不当に利得し、他方は必ず不当

に損失することとなるのである。人生の重要な実際問題においては、真理とは、実に反対説を融和させ結

合させる問題だといってもよいのであるが、しかも知識の正確さを求めてそれに近寄りつつ反対説を調整

することができるほど包容力の大なる公平な心を備えた人物は極めて稀れであって、そこで、この調整は

、敵対的な旗幟の下に戦う戦士たちの闘争という手荒い方法によってなされねばならないのである。(ま

あ、反対説を調整し包容力の大きくて公平な心をもった仁徳者がいれば、政治闘争も少なくなって、それ

にこしたことがありませんが。霧山人注)

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )

   

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 一般に認容された意見が真理である場合に、自由な論議を許さぬことから起こる弊害が、単にそれらの

意見の根拠について人々を知らないままに留まらせるということだけならば、このことは、知的害悪であ

るとしても道徳的害悪ではなく、性格に及ぼす影響という点から見て、それらの意見の価値を左右するも

のではない、と考えられるかも知れない。しかし実際には、論争の行われない場合には、意見の根拠が忘

却されるだけではなく、また実にしばしば意見そのものの意味が忘却される、というのが事実である。意

見を伝えるための言葉は、全く思想を表示しなくなるか、或いは、最初その言葉が伝えようとしていた思

想の一小部分を表示するに過ぎなくなる。鮮明な概念と生命ある信仰とは失われて、機械的に暗記された

少数の文句が残るに過ぎなくなる。或いはまた、意味の一部が辛うじて記憶されるとしても、単にその外

殻と外皮とが記憶されるに止まり、純美なる精髄は忘却されてしまうのである。このような事実が占めま

た満たす人類の歴史の重要な一章は、いかに熱心に研究せられ熟慮せられても過ぎることはない。

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著より )

第三次ベビーブーム

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頭に浮かんでくるのは、ニート・フリーターの解放、それに続く第二次新婚ブーム、そして、第三次ベ

ビーブームという流れである。高齢化における年金問題は、食糧の配給によって、なんとか乗り切る。だ

いたい、中間マージンを取り過ぎるから、物価が高くなるのだ。直接、国家が高齢者の食料を支給するの

だ。どうしようもないときには、それしかないだろう。財務省も、お手上げだが、さまざまな問題はすべ

てをカネによって解決しようとするから、借金が増えるのだ。国民が利益を得るために、国家が負債を被

る。そして、官僚は見栄を張るために国費を浪費する。そして、もう、考えることのできなくなった、頭

のいい人たちは、どういうことだろうか。安くあげようと思ったら、いくらでもコストは落とせる。上杉

鷹山のまねをしなければならないのは、財務省や財務大臣なのに、国民にそれを求めるのはおかしな話で

ある。もう、日本の伝統というヤツは、昭和三十年代の団塊の世代の送った生活スタイルでほぼ決まりで

あろう。それ以前は、悪習である。そこまで言っておかないと、悪い伝統を復活させられて、重税に苦し

められかねないのだ。本当に、大人が圧倒的に悪い。この世にした大人が悪い。自分たちは、散々と良い

暮らしをしてきたんじゃなかったか。なんで、吾輩たちは、ニートやフリーターなんだ。原因はあんたた

ちじゃないのかね。だから、言っとくけど、国家の財政赤字なんて、我々バブルの恩恵のなかった人々に

は関係のない話である。カネではもうどうにもならないのだよ。プライマリーバランスの黒字化までは、

いいとしても、国債償還までは責任は負えない。これは我々にとって、無限のものである。つまり、明治

から続く悪習みたいなものなのだ。文明を手に入れたときから、くっついてきたものなのだ。だから、財

政赤字を理由に、日本国民の基本的人権を奪って奴隷化するというバブルの目的は達成されないであろう

。我々は、昭和の伝統どおりに、第二次新婚ブームと第三次ベビーブームの波をおこすのである。これが

日本の伝統なのである。国の借金なんかに騙されちゃいかん。そんなもの、文明のおまけみたいなものな

のだから・・・。後進国から先進国になるための罠・・・。

                                       霧山人

第二次新婚ブーム

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頭に浮かんでくるのは、ニート・フリーターの解放、それに続く第二次新婚ブーム、そして、第三次ベ

ビーブームという流れである。高齢化における年金問題は、食糧の配給によって、なんとか乗り切る。だ

いたい、中間マージンを取り過ぎるから、物価が高くなるのだ。直接、国家が高齢者の食料を支給するの

だ。どうしようもないときには、それしかないだろう。財務省も、お手上げだが、さまざまな問題はすべ

てをカネによって解決しようとするから、借金が増えるのだ。国民が利益を得るために、国家が負債を被

る。そして、官僚は見栄を張るために国費を浪費する。そして、もう、考えることのできなくなった、頭

のいい人たちは、どういうことだろうか。安くあげようと思ったら、いくらでもコストは落とせる。上杉

鷹山のまねをしなければならないのは、財務省や財務大臣なのに、国民にそれを求めるのはおかしな話で

ある。もう、日本の伝統というヤツは、昭和三十年代の団塊の世代の送った生活スタイルでほぼ決まりで

あろう。それ以前は、悪習である。そこまで言っておかないと、悪い伝統を復活させられて、重税に苦し

められかねないのだ。本当に、大人が圧倒的に悪い。この世にした大人が悪い。自分たちは、散々と良い

暮らしをしてきたんじゃなかったか。なんで、吾輩たちは、ニートやフリーターなんだ。原因はあんたた

ちじゃないのかね。だから、言っとくけど、国家の財政赤字なんて、我々バブルの恩恵のなかった人々に

は関係のない話である。カネではもうどうにもならないのだよ。プライマリーバランスの黒字化までは、

いいとしても、国債償還までは責任は負えない。これは我々にとって、無限のものである。つまり、明治

から続く悪習みたいなものなのだ。文明を手に入れたときから、くっついてきたものなのだ。だから、財

政赤字を理由に、日本国民の基本的人権を奪って奴隷化するというバブルの目的は達成されないであろう

。我々は、昭和の伝統どおりに、第二次新婚ブームと第三次ベビーブームの波をおこすのである。これが

日本の伝統なのである。国の借金なんかに騙されちゃいかん。そんなもの、文明のおまけみたいなものな

のだから・・・。後進国から先進国になるための罠・・・。

                                       霧山人

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