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もう、十分だよね。救われたんだしさ。すごいね。 |
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下書きなし。できたとこ勝負。これぞ、九州男児。どーーん。小説も推敲したことがない。自然そのもの。そのときの妙技。 |
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蘇鉄の葉っぱは広がったあとはなかなか大きくなってくれない。膨らんだ幹を見る日は遥かに遠い。それでも、芽生えというものはニョキニョキとシャカシャカと葉の形を生育させる。櫛の歯みたいの出て来たかと思うと、ザンと大きくなり、やっぱりあの蘇鉄の葉っぱになっていく。その見事さ。あのぜんまいがやがて羊歯用の葉っぱになっていくのと同じような成り行きだ。やっぱり暑いせいか、南国宮崎にふさわしい。リゾート開発で、宮崎のイメージは南国から遠ざかって、灰色になってしまったが、やっぱり日本列島においての南国ぶりは、桜島の火山灰と暑さに象徴される鹿児島と並ぶだろう。そして、さらに、天草の長い長い橋によってつながった青い島嶼をもつ熊本も捨てがたい。沖縄が海に浮ぶ遥か遠い南の島であるとすれば、九州南県は、陸において交通される南国情緒不思議地帯である。まあ、日本列島自体、ユーラシア大陸に比ぶれば、ちっちゃな島国には変わりないのだけども。日本人はさらに小さいので、別に構わないだろう。それにしても、赤ちゃんの手のひらのように、ちっちゃくても手のひらの形をしているように、蘇鉄の芽吹きもそういった形が整っているのがおもしろい。 |
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ある愛し合う男女が大きな船に乗っていた。突然の雷雨の中、その船は遭難し、ついに落雷によって、火災が発生した。船はもはや操行不能になっていた。その男女は、避難用のボートを見つけて、乗り込んだ。そして大海原へと投げ出されたのだった。しばらく漂流が続いていた。二人は死に瀕していた。そして、食料も一人分で一週間しかないことに気付いた。どちらにしても、二人とも助かりっこない。だが、ひょっとしたら、一週間もあれば、一人は助かるかもしれない。男は決断に迫られた。愛する女に食料を残して、自分はボートから離れて自力でなんとかするか、そのまま二、三日後に二人とも餓死するか。選択の余地はない。男は決死を覚悟して、女をボートに残し、そのまま海に身を投げ込んだ。それから、六日後、女は無事に救助されて、九死に一生を得た。男のほうは、消息不明のままだった。女は嘆き悲しんで、その男が本当に自分の事を愛してくれていたことがわかった。そういう状態でこそ、愛というものは曝露される。そして、数ヵ月後、その男は自力で孤島に辿り着き、そこから脱出して、やがて女を捜し廻り、ついには女と再会した。こういう話があったならば、それは愛と呼べるのではないだろうか。 |
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「責任」という言葉のもつあの強大な威厳はどこから来たのだろう。人間の行為の動機を微細に追究して行くならば、我々はその人固有の宿命にまでつき当り、或は一見些末な事柄を見出し、或は無数の糸がからみあったような手の施しようのないもつれの前に茫然としてしまう。一行為を為した後に我々の知ることは、自分がいかに自己を知らないかということである。 |
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