平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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『坂の上の雲』政策

 未来の子どもたちはなんて可哀相なんだ。

NHKの時代物ドラマを見たら、泣けてきた。

ついに団塊も逃げ切るのかと、バブル崩壊の後始末を思った。

『坂の上の雲』という作品は、司馬遼太郎の書いたものだが、

一体、坂の上の雲の向こうには何があったのかといえば、バブルと戦争だったのだ。

そういう意味で、日本の近代化は雲をつかむように、こけた。

だが、執筆中の高度経済成長は、日本の近代化を実現していた時代だと思える。

1970年代に、司馬遼太郎はすでに土地バブルのことを警戒しており、その後、小説は書けなくなり、評論

みたいな仕事ばかりやっていた。

1980年代のバブル景気の頃、日本の近代化は成功した。

だが、バブル崩壊後、近代国家の土台を切り崩しながら、伝統文化の重みに耐え切れず、大名と庶民の封

建国家に戻りつつある。果たして、日本国民は、再び近代国家の道を歩んで、繁栄を取り戻すのだろう

か。それとも、大名と庶民の封建国家になってしまうのか。

アメリカでは、サブプライムなど、金融による問題によって、近代国家の旗頭としてのアメリカが揺らい

でいる。アメリカの歴史は、国民国家とウォール街との戦いのようなもんである。しかし、ウォール街も

もぬけの殻になったな。

バブル景気

 投機などの加熱により資産価格が一時的に異常な高騰をみせ、その後投機熱が冷め急速な資産価格の収

縮が起こる様が、泡がふくれてはじける様によく似て見える事から、バブル景気、バブル経済、バブル崩

壊などと呼称する。 

円高による打撃を受けることの予想された輸出業界を救済するため金融緩和が実施され、過剰な流動性が発生し、その資金が不動産投資や株式投資に向かい信用創造が膨らんだこと。
中曽根内閣は貿易摩擦解消の為、国内需要の拡大を国際公約し,これまでの緊縮財政から一転、公共事業の拡大政策をとったこと。
金融緩和(低金利)政策(当時国際公約と捉えられていた)が継続されるとの期待が強固であったこと[2]。
また中曽根税制改革により法人税が42%から30%へ、所得税最高税率が70%から40%に引下げられ、物品税も撤廃されて、国家税収の1/3が消滅したが、富裕層の所得はその分増大して、その多くは土地や株式に向かったため、株式相場や土地価格が膨張したこと。

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 バブル景気の崩壊は、輸出産業から国家財政を通して、国民に仕事を与え、経済を潤していたということを破壊した。中曽根税制改革によって、国家税収の1/3が消滅したという構造は現在でも変わっていない。だから、税収減で国債発行に依存せざるをえないようだ。
 日銀が国民に対して有効な金融政策を打てないでいるのは、土地神話の崩壊で、何を担保力にしていいかがわからなくなっているからだろう。日本国内の新たなる産業の政策に期待したい。

円高デフレ

 円高不況(えんだかふきょう)は、円相場の上昇(円高)に伴い日本国内の輸出産業が損害を被る結果

発生する不況のことである。

 円相場が円高に傾くと、外貨建て債権を有する日本の輸出産業は為替差損を被ることになり、経営が圧迫される。逆に輸入産業は為替差益を得ることになるが、日本は貿易収支が大幅黒字国であり輸出産業の方が経済に及ぼす影響力が強いため、日本経済全体としては、差益より差損の方が大きくなる。そして利益が減少したことで社員給与の減少や価格への転嫁が起こり、結果購買意欲の衰退、不況へと向かう。

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 円高デフレの場合、輸入産業の方が経済に影響を与えるため、80年代のアメリカのように、外国製品を安く買うようになり、国内の製品が売れなくなり、財政赤字が膨れる。中国や東南アジアの製品が安くでまわっているが、その分、国内の仕事がなくなってきている。外国製品を買っていて、財源が減り、赤字国債に頼っていると、困ったことになる。

 仁がまだ暗くなっていないことを示すのは、

欲に動かされず、私心に覆われていないときだ。

 つまり、則天去私の域に達していることだ。

 だから、貧乏なのは、仁がまだ暗くなっていない証拠だ。

 だから、金持ちなのは、仁がすでに暗くなっている証拠だ。

文明の精神というもの

文明の精神
 天地間の事物を規則の内に籠絡すれども(法治国家)、その内にありて自から活動を逞うし、人の気風活発にして旧慣に惑溺せず、身躬からその身を支配して他の恩威に依頼せず、躬から徳を修め躬から智を研き、古を慕わず今を足れりとせず、小安に安んぜずして未来の大成を謀り、進て退かず達して止まらず、学問の道は虚ならずして発明の基を開き、工商の業は日に盛にして幸福の源を深くし、人智は既に今日に用いてその幾分を余し、以って後日の謀を為すものの如し。これを今の文明という。野蛮半開の有様を去ること遠しというべし。

                    半開の精神
 農業の道大いに開けて衣食具わらざるにあらず、家を建て都邑を設け、その外形は現に一国なれども、その内実を探れば不足するもの甚だ多し。文学盛なれども実学を勤る者少なく、人間交際に就いては、猜疑嫉妬の心深しといえども、事物の理を談ずるときには、疑を発して不審を正すの勇なし。模擬の細工は巧みなれども、新たに物を造るの工夫に乏しく、旧を修めるを知りて旧を改めるを知らず。これを半開と名づく。いまだ文明に達せざるなり。
                    野蛮の精神
 居に常処なく、食に常品なし。便利を逐うて群を成せども、便利尽くれば忽ち散じて痕を見ず。あるいは処を定めて農漁を勤め、衣食足らざるにあらずといえども器械の工夫を知らず、文字なきにはあらざれども文学なるものなし。天然の力を恐れ、人為の恩威に依頼し、偶然の禍福を待つのみにて、身躬から工夫を運らず者なし。これを野蛮と名づく。文明を去ること遠しというべし。

            (『文明論之概略』 福澤諭吉著 より )

 また、この文明、半開、野蛮という段階が歴史過程においての、社会の段階だと思っていたが、これは
近代化における人々の精神の発達段階であることがわかった。
 
 

 現代社会において、野蛮の精神を持つ者も多い。文明の精神に工商のみだけがあげられ、文明の精神を持つものは工商のみに間違える。半開の精神の中に農業や家の建築、文学という語彙がでてくるが、これらの事業が半開であるということではない。これらの事業が半開の精神の中に含まれたのを読んだ人々が誤解をおこして、これらの事業は衰退していっている。また、野蛮の精神の中に、農漁という語彙がでてくるが、その事業自体が野蛮ということではない。環境問題を論じるにおいて、自然を大切にして自然に帰ろうというような思想があるような気がするが、文明の精神を忘れてはならないのである。文明の精神を持って、農業、漁業、林業、建築、文学なんかを振興しなければならない。
 文明の精神において、躬(自分)から徳を修め躬から智を研くとあるが、このことは具体的には学問を勉強することを意味している。なぜ、学問をするのかということでもある。
 では、智(智識)を研究するとはわかるとしても、徳を修めるとは一体どういうことなのかを理解してみよう。

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