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「学を絶てば憂いなし。唯と阿と、相い去ること幾何ぞ。善と悪と、相い去ること何若。 |
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2010年01月20日
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「聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍し、仁を絶ち義を棄つれば、民、孝慈に復り、巧を絶ち利を棄つ |
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支那日本等に於ては君臣の倫を以て人の天性と称し、人に君臣の倫あるはなお夫婦親子の倫あるが如く、君臣の分は人の生前に先ず定まりたるもののように思込み、孔子の如きもこの惑溺を脱すること能わず、生涯の心事は周の天子を助けて政を行うか、または窮迫の余りには諸侯にても地方官にても己を用いんとする者あればこれに仕え、とにもかくにも土地人民を支配する君主に依頼して事を成さんとするより外に策略あることなし。畢竟、孔子もいまだ人の天性を究るの道を知らず、ただその時代に行わるる事物の有様に眼を遮られ、その時代に生々する人民の気風に心を奪われ、知らず識らずその中に籠絡せられて、国を立るには君臣の外に手段なきものと臆断して教を遺したるもののみ。固よりその教に君臣のことを論じたる趣意は頗る純精にして、その一局内にいてこれを見れば差支なきのみならず。如何にも人事の美を尽したるが如くなりといえども、元と君臣は人の生れて後に出来たるものなれば、これを人の性というべからず。人の性のままに備わるものは本なり、生れて後に出来たるものは末なり。事物の末に就て議論の純精なるものあればとて、これに由てその本を動かすべからず。 |
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「大道廃れて仁義あり、智慧出でて大偽有り。六親和せずして孝慈有り、国家昏乱して忠臣有り。」 |
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ソレについては色々面白い話がある。今この三田の屋敷の門をはいって右の方にある塾の家は、明治初 |
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