平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。
 万の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下りて立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。
 (略)

(『徒然草』 兼好・作 )

 高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、或時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、

我がかたちの見にくく、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後、長

く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更に、人に交はる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たり

と聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

 賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるものなり。我を知らずして、外を知るといふ

理あるべからず。されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。かたち醜けれども知らず、心の愚かな

るをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも

知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の譏

りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたの

なければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何

ぞ、やがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる。行ひおろかなりと知らば、

何ぞ、玆を思ふこと玆にあらざる。
 すべて、人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。かたち見にくく、心おくれにして出で仕へ、無智

にして大才に交はり、不堪の芸をもちて堪能の座に列り、雪の頭を頂きて盛りなる人に並び、況んや、及

ばざる事を望み、叶はぬ事を憂へ、来たらざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあ

らず、貪る心に引かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今ここに来

れりと、確かに知らざればなり。

(『徒然草』 兼好・作 )

 貧しき者は、財をもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。己が分を知りて、及ばざる時は速

かに止むを、智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りな

り。

 貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。

(『徒然草』 兼好・作 )

 貧しい者は、財貨を人に贈ることを謝礼することと思い、老いた者は、力仕事をしてやることで謝礼を果たすことと思っている。自分の分を知り、それが及ばないときは速めに止めることを、智というべきだ。すぐにやめてしまうことを、相手が許してくれないならば、それは、その相手がまちがっているのだ。身の程を知らないで無理に骨を折って尽くすのは、自分のまちがいである。
 貧しくて身の程をわきまえなければ盗みをおかすし、力が衰えたのに身の程をわきまえなければ病気をまねく。

 物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず。

 万の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらんためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、

負けて興なく覚ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更に遊びの興なかるべ

し。人に本意なく思はせて我が心を慰めん事、徳に背けり。睦しき中に戯るるも、人を計り欺きて、己れ

が智のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、始め興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類

多し。これみな、争ひを好む失なり。

 人にまさらん事を思はば、ただ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。道を学ぶとならば、善に伐

らず、輩に争ふべからずといふ事を知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ、学問

の力なり。

(『徒然草』 兼好・作 )

 顔淵季路侍す。子曰く、「盍ぞ各爾の志を言はざる。」

子路曰く、「願はくは、車馬衣軽裘を、朋友と共にし、之を敝るも憾みなけん。」

顔淵曰く、「願はくは善に伐るなく、労を施いにするなけん。」

子路曰く、「願はくは子の志を聞かん。」

子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」

(『論語』 公冶長第五 より )

 顔淵と季路(子路)とが孔子の側に侍していた。孔子が言われるには、「人には各志がある。それぞれお前たちの志を言って聞かせないか。」
 子路「願わくは、乗るところの車馬、着るところの軽くて暖かい毛皮の服を、朋友と共通にして、朋友がこれを破ってもうらむ心のないようでありたいものでございます。
 顔淵「願わくは、己にりっぱな才能があってもこれに誇ることなく、また人に対して功労があっても己の心にこれを大きく考えることのないようにしたいものでございます。」
 子路「願わくは、先生の御志を伺いとうございます。」
 孔子「わしは天下の人に各その願うところを遂げさせてやりたいと思う。老人はこれを養うて安楽にし、朋友とは信をもって交わり、年少者は恩をもって老人や朋友を慣れ親しむようにしたいと思う。」

 聖賢の志は公で私の心がなく、小さくとも大きくとも各その量に随うことをあらわしたのである。

 季路(子路)の志は物を公共にするのにあり、顔淵の志は善を公共にするのにあり、孔子の志は物によって物を与え、各そのところを得させるのにある。

 子路は人を済い物を利する心がある。顔淵は物と我とを平等にみる心がある。孔子は万物その所を得るようにする心がある。

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