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又都へ上りてあこがれ見し人のおもかげを、今一目見ばやと思ひ、柑子商人になりて、内裏に越し入り
て柑子を売りけるに、彼見し人の局より、下女一人出でて、おあし二十ばかりにて柑子をぞ買ひにける。
それは二十数へて売りけるが、ことばにては数へず、恋の歌にて数へつつかくなん、
一とや、ひとりまろ寝の草枕袂しぼらぬ暁もなし
二とや、ふたへ屏風の内に寝て恋しき人をいつか見るべき
三とやか、見ても心の慰までなどうき人の恋しかるらん
四とかや、夜深に君を思ふらん枕片敷く袖ぞ露けき
五とや、今や今やと待つ程に身をかげろふになすぞ悲しき
六とかや、むかひの野辺にすむ鹿もつま故にこそなき明しけれ
七とや、なき名の立つもつらからじ君故流すわが名なりけり
八とかや、やよひの月の光をば思はぬ君が宿にとどめよ
九や、ここであはずは極楽の弥陀の浄土であふ世あるべし
十とかや、とやをはなれしあら鷹をいつかわが手にひきすゑてみん
十一や、一度まことのあるならば人の言の葉うれしからまし
十二とや、にくしと人の思ふらんかなはぬことに心つくせば
十三や、さのみ情をふりすてそ情は人のためにあらぬば
十四とや、死なん命も惜しからず君故流すわが身なりせば
十五とや、後世の障りとなりやせん身のはかなくも逢はではてなば
十六や、陸地の程を過ぐるにも君に心をつれてこそ行け
十七や、七度詣での度々も逢ふ世と祈りこそすれ
十八や、はづかしながらいふことを心強くもあはぬ君かな
十九とや、くるし夜毎に待ちかねて袖いたづらにくちやはてまし
二十とや、にくしと人の思ふらんわれならぬ身を人の恋ふれば
といひければ、かの下女、是を聞きて、柑子よくぼるべきにはあらねども、あまりに歌の心のおもしろさ
に、「柑子一つ添へよ」といへば、一つ添へてかくなん、
二十一と、一度の情こめんとて多くのことば語りつくしつ
とよみてんげれば、彼下女、道命をつくづくと見て、「かほどやさしき業をして、柑子売り給ふぞ」とい
ひければ「ふりふりして」と答へける。下女は心得ず思ひける。
(『御伽草子』 和泉式部 より )
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