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すでに、お金で物を買うということを忘れている。
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2010年08月12日
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この天皇(崇神天皇)の御世に、役病多に起こりて、人民死にて盡きむとしき。ここに天皇愁ひ歎きたまひて神牀(かむどこ)に坐しし夜、大物主大神、御夢に顕はれて曰りたまひしく、「こは我が御心ぞ。故、意富多多泥古をもちて、我が御前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ。」とのりたまひき。ここをもちて驛使(はゆまづかひ)を四方に班ちて、意富多多泥古と謂ふ人を求めたまひし時、河内の美努村にその人を見得て貢進りき。ここに天皇、「汝は誰が子ぞ。」と問ひたまへば、答へて曰ししく、「僕は大物主大神、陶津耳命の女、活玉依毘賣を娶して生める子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子、僕意富多多泥古ぞ。」と白しき。ここに天皇大く歓びて詔りたまひしく、「天の下平らぎ、人民栄えなむ。」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古命をもちて神主として、御諸山(三輪山)に意富美和の大神の前を拜き祭りたまひき。また伊迦賀色許男命に仰せて、天の八十平瓮(やそびらか)を作り、天神地祇の社を定め奉りたまひき。また宇陀の墨坂神に赤色の楯矛を祭り、また大坂神に墨色の楯矛を祭り、また坂の御尾の神また河の瀬の神に、悉に遺し忘るること無く弊帛(みてぐら)を奉りたまひき。これによりて役(えやみ)の気悉に息(や)みて、国家安らかに平らぎき。
(『古事記』 崇神天皇 神々の祭祀 より )
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海際の席に座っている冬月だが、冬月はどうも陸地の方のフェンスの向こうに生えている植物に興味があるみたいであった。タクシーはスピードに乗っているので、すぐに通り抜けていく。
「あそこに生えているのは、ダンチクじゃないか。小生、ウガヤフキアエズノミコトのウガヤは、このダンチクじゃないかと思うんだ。イネ科の植物で、秋にかけて、鵜の羽に似た花を咲かせる。海の人々が母屋をつくるときには、これを茅葺屋根に使ったんじゃないかな。文化の違いが、鵜の鳥の羽という表現に落ちつかせたにちがいない。茅はチガヤやススキなどのイネ科の植物の総称で、屋根を葺くのに使うね。イネ科の植物には、葦があって、豊葦原中国の代表的な植物となっている。葦をアシと読んでいたけど、ヨシと読むようになったのも、歴史の背景があるんだね。日向神話の前には、国譲りの神話があったからね。よく、葦の髄から天井を覗くというじゃないか。」 私は、ピンと来た。日向神話に抜け落ちていた点である。 「そういえば、大淀川の南側には、中村恵比寿があるよね。日向神話には、国津神の存在が忘れ去られているね。高天原神話と出雲神話も同列に語ることができなければ、日本の神話は、民主主義的にはならないなぁ。皇民化政策の抜け落ちていた視点であるね。」 「しかし、日向においても、高天原系の神社は少ないね。どちらかといえば、国津神の神社のほうが多いよ。なぜならば、国譲りの神話を大切にしてきていたからだ。でも、だんだんと武力で制圧するように、歴史が変わってきたんだ。日向の一ノ宮は、大国主を祭る都農神社だからね。神武天皇が大和に行くまでは、その約束を誠実に守っていたと思うんだ。だから、都農神社を造っている。」 「神話の世界も、現代社会に似て随分複雑なんだね。次の目的地、鵜戸神宮は、豊玉姫が、ウガヤフキアエズを生んだところなんだろう。鵜戸の岩窟の中に、産屋を造ったのかな。」 やがて、二人を乗せたタクシーは、鵜戸神宮の赤い鳥居を潜り抜けた。タクシーが駐車場に止まる。冬月と私は、車を降りると、露店の脇の階段を上り始めた。サザエの焼ける匂いが香ばしい。鵜戸神宮は、一昔風にいうと、官幣大社という称号がついていたらしい。国家神道の名残であろう。しかし、敗戦後、帝国の斜陽と重なり、さびれた小さな店と共に、哀愁を漂わせていた。田舎の個人商店がシャッターを下ろしていることも思い浮かぶのだった。帝国の残影の上に、希望の一字を乗せることができるのだろうか。倒れ臥した帝国の上に築かれた、民主主義国・日本の姿は健康とはいえない。 冬月が小腹が空いたといったので、目に入ったおみやげ屋の二階にある食堂へ入ることにした。目に止まった張り紙に、地鶏すきやきとあったので、それを二人は頼むことにした。かかっている音楽は、あの橘公園で耳にしたフランスの曲に似ていた。 「芸術の都・宮崎か。」 ふと、私は口に出していた。平和の塔がエッフェル塔で、大淀川がセーヌ川ということになる。パリの街にも、ブローニュの森とか、バンセンヌの森とか、さまざまな森がある。それと同じように、宮崎市内には、さまざまな森や公園がある。平和台公園のはにわ園、市民の森、一ッ葉のシーガイア、神宮の森、文化公園がある。南に目をやれば、木花の運動公園、青島のこどもの国がある。これだけの観光資源が、宮崎にある。自由・平等・博愛の国、フランスだ。 冬月に言わせれば、自由とは日本人にとって、菩薩になる道だという。餓鬼修羅畜生から抜けて、人間になって、自立自尊できたとき、菩薩の道が拓けるというのだ。それを自由と呼ぶ。昔の人々は、仏になれるのは一部の人間だけで、仏になるということは死ぬことだと思っていた。しかし、日本にやってきた大乗仏教は、みんなが仏になれるという教えだった。冬月は、仏になるということを、夢を叶えるというように解釈したのだ。夢を叶えられる人間になるために、それぞれの道で修行をしているのであるのだ。 しかし、冬月にしてみても、パリの人々が夢見た、平等で、博い愛に溢れた社会というものがまだつかめていなかった。人々は、社会は平等でないということを身に染みて感じている。菩薩の慈悲の心に達するほどの人間愛に到達できるほど、余裕がない。私も冬月も日向神話の物語から、平等と博愛が感じられないということに気がつくのだった。『古事記』の世界観に、不足しているものがあるのだ。古墳の造成のときなんか、帰りの弁当すらなくて、餓死するものもいたくらいだ。 やがて、くつくつと煮立った地鶏すき焼きが運ばれてきた。白菜などの野菜が盛り高く積まれていた。 「ひっくり返してから、お召し上がりください。」というので、それに従った。ご飯と赤だしにわさび漬けがあった。テーブルに目をやると、「鵜戸神宮霊橋」とかかれた小文が目についた。これによると、古来、人間社会から神の世界への架け橋として、反り橋は深く信仰の対象として敬われていたそうだ。神仏混淆の両部時代に遡るという。諸仏充満の聖地には、穢れある者は渡ることができないらしい。 フィクションです。
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