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子曰く、「善人も邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべし。」
と。誠なるかな是の言や。
(『論語』 子路第十三 より )
孔子が言った。古語に「善人でも相継いで邦を治めて百年にもなれば、その善が次第に民の心に染みて、残暴(残虐)の人を化して悪を行なわぬようにさせ、民を善に化して大罪を犯すものなく、死刑を用いないようになる」と。誠である、この言葉は。
善人・・・修養の功を積まないで自然に悪のない人をいう。
善人が久しく国を治める効果を述べたのである。
尹焞は言う、「残に勝ち殺を去るのは悪を行なわないというだけである。善人が相継いで百年世を治めた功はこのようである。もし聖人ならば百年を待たないし、その徳化もまたこれに止まらない。」
程子は言う、「前漢の高祖・恵帝から文帝・景帝に至るまで、万民の風俗が醇厚でほとんど刑罰を措いて用いなかったのは、この古語の辞に近い。」
あれこれ、やかましく言わないほうが世がよく治まったことを言っている。ちなみに、前漢の高祖劉邦は法律を三つだけにしている。
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2010年09月12日
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最新とか最先端とかトレンドとか、ネタがきれると、悪い事しか残っていない。
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『論語』には、恋愛のことは載っていない・・・。
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美味というものは、喧嘩のもとである。
美食というものは、喧嘩のもとである。
美味いとか、不味いとかで争いになって、殺すようなことがあれば、どうすることもできない。
美食にもいろいろあるが、貧乏で美味いものを知っていることが一番である。
美食に金儲けが絡むと厄介である。美味の追求で、採算が合わなくなるからである。料理は、食べられればよろしい。
レアなもので、大衆に向けて商売すると、持続不可能な美食になる。
美食とは、恐ろしいものである。
粗食こそが味を鍛え、味を多く覚えさせるものである。
味を知るものが少ないのは、好き嫌いがあるからである。
好き嫌いがなくなって、初めて美食といえる。
味というものに関心がなくなって、もうこれ以上の感傷を持てない。
だから、結局、料理は愛情ということにしておく。了解。
霧山人
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